Shuichiro Ogawa
English

Notes ・ updated 2026-07-19

AIと法学・ガバナンスの研究潮流:規制・説明責任・AIガバナンス(2024–2026)

2024年から2026年にかけて、AIをめぐる法は「原則」から「拘束力ある規則」へ移った。 それまで各国が横並びで掲げてきた倫理宣言やソフトローは、いまや官報に載る条文と、裁判所が下す判決に置き換わりつつある。 本ノートは、この移行期の研究潮流を、一次法源と査読法学論文の33件のコーパス(source/review/ai-law-governance-research-trends/papers.md)から整理する。

規制の条文を書くこと、その条文を説明責任の機構へ翻訳すること、そして機構が捉えきれない責任と権利の空白を学説が埋めること。 三つは別々の作業であり、研究もその順に厚みを増した。 デザイン実務に特化した第50条の分析は eu-ai-act-design-impact に譲り、ここでは一般的な法学とガバナンスの潮流を扱う。

立法の峰が二つ立った:EUの段階施行と米国の反転

EUは2024年に Regulation (EU) 2024/1689(AI Act) を成立させた。 世界で初めての包括的な横断規制であり、AIシステムを禁止、高リスク、限定リスク、最小リスクの階層に分け、適合性評価と汎用AIモデル(GPAI)の義務を課す(L01)。 条文は2024年8月1日に発効したが、義務は一斉には効かない。 禁止条項は2025年2月2日、GPAIの義務は2025年8月2日、そして高リスクシステムの中核義務は2026年8月2日に段階的に適用される。

この段階施行のあいだを埋めたのが、2025年7月に確定した General-Purpose AI Code of Practice(GPAI行動規範) である。 AI Act 第53条と第55条への適合を示す自主的なツールであり、透明性、著作権、安全保障の三章で構成される(L02)。 欧州委員会とAIボードは2025年8月1日にこれを適切性承認した。 Gstrein らは、GPAI規制の登場をもって、AIガバナンスが事後的な救済から事前的な統制へ転換したと診断する(L20)。 ただし彼らは、執行可能性と民主的正統性、技術の将来対応性という三点に未解決の問いが残ると釘を刺す。

米国は逆の弧を描いた。 2023年10月、バイデン政権は Executive Order 14110(安全で信頼できるAI)を出し、50を超える連邦機関に100超の行動を指示した(L03)。 ところが2025年1月20日、この大統領令は Executive Order 14148 によって廃止される。 続く Executive Order 14179(米国のAIリーダーシップの障壁除去)は、14110の下で採られた全措置の撤回を命じ、イデオロギー的バイアスを排したAI開発を掲げた(L04)。 連邦機関の運用面では、2025年のOMB覚書 M-25-21 が、Chief AI Officer の設置や高影響AIシステムへの事前テストと影響評価を残しつつ、方針の重心を統制から利用の加速へ移した(L05)。 EUが規則を積み上げ、米国が規則を剥がしていく。 この二つの峰の対比が、2024年以降の比較規制研究の出発点になっている。

拘束力の階段:規格から条約まで

規制研究がEUと米国の二極に集まりがちなのに対し、実際のガバナンスは拘束力の異なる文書の階段として積み上がった。 Zaidan と Ibrahim は、AIの進展速度に法が追いつけない状態を 規制惰性(regulatory inertia) と名づけ、国際協調の枠組みを論じる(L21)。 この階段を下から上へたどると、研究が何を対象にしてきたかが見える。

最も柔らかい段は、拘束力を持たない規格と原則である。 NISTは2024年7月、NIST AI 600-1(Generative AI Profile) を公表し、生成AIに固有の、あるいは生成AIで悪化する12類型のリスクを、Govern、Map、Measure、Manage の各機能に対応させた(L06)。 OECDは同じ2024年、2019年に世界で初めて政府間で採択したAI原則を、生成AIの台頭を受けて改訂した(L07)。 この改訂版は、EU AI Act や NIST の枠組み、UNESCO の勧告が共有する定義の基盤になっている。

一段上がると、政府間の合意文書が並ぶ。 国連事務総長のハイレベル諮問機関は2024年9月、最終報告 Governing AI for Humanity を出し、118か国が主要なガバナンスの取り組みから排除されている格差を指摘して七つの勧告を示した(L08)。 英国政府が事務局を務め、Yoshua Bengio が議長を務めた International AI Safety Report(2025年1月)は、30か国96名の専門家による、汎用AIの能力とリスクと緩和策に関する初の国際的な科学報告である(L10)。

最上段には、法的拘束力を持つ条約がある。 欧州評議会の AIに関する枠組み条約(CETS No. 225) は2024年9月に署名開放され、世界で初めて法的拘束力をもってAIのライフサイクル全体を人権、民主主義、法の支配と整合させることを義務づけた(L09)。 ソフトな規格から拘束力ある条約まで、研究はこの階段のどの段を分析するかで領分が分かれる。

説明責任は「説明」から「監査」へ動いた

透明性の研究は、長らく「説明への権利(right to explanation)」を軸にしてきた。 だが2024年以降、重心は個々の決定を説明することから、システム全体を 監査(audit) することへ移る。 この転換は、監査を義務づける法律が実際に施行され、その運用データが手に入ったことで加速した。

Gerchick らは、ニューヨーク市の Local Law 144 が採用AIツールに義務づけたバイアス監査のうち、公開された116件を分析した(L14)。 定義が曖昧なうえ、Fortune 500 のうち監査を公表した企業はおよそ2%にとどまるという実態を突きつけ、この論文は FAccT 2025 で Honorable Mention を得た。 監査という制度が動き出しても、監査を出すかどうかの裁量が企業側に残れば、説明責任は形骸化する。

制度の実効性への懐疑は、監査を担う主体そのものにも向かう。 Terzis らは、アルゴリズム監査がデジタルサービス法やオンライン安全法の規制義務として制度化される過程を政治経済学の視点で分析し、従来の監査産業(いわゆるBig Four)が新たな監査空間を占有するリスクを指摘した(L13)。 Chappidi らは、透明性と説明責任を支えるはずの記録保管の実践が、逆にシステムを既存の枠組みへ取り込んでいく過程を accountability capture と名づけ、実務者100人の調査から内部と外部の説明責任の緊張を描いた(L15)。

EUの文脈では、Söderlund が AI Act の「限定的透明性(qualified transparency)」機構を分析している(L12)。 一般公開ではなく監視当局に限ってアクセスを認めるこの設計は、企業秘密を守りつつ監督を可能にするが、公衆に対する説明責任という目標には残された課題があると指摘する。 説明責任の研究が「監査」へ動いたなら、次に問われるのは、その監査が何を根拠に決定を検証できるかである。 Stewart はこの問いに正面から向き合い、モデルの開示に頼らず反事実的な照会によって決定を検証する 証拠権(evidentiary rights) という手続き的保護を提案した(L16, 2026)。

責任の空白は誰が埋めるのか

AIが自律的に振る舞い、開発者から展開者、利用者へと手を経て損害が生じるとき、誰が責任を負うのか。 この問いは、EUのAI責任指令(AILD)が停滞したことで、かえって学説の中心に躍り出た。 Noto La Diega と Bezerra は、AILDの射程が証拠開示ルールと因果推定に限られる点を批判し、生成AIの安全を確保するには厳格責任を含む包括的な事後的不法行為責任の体制が要ると論じる(L17)。

責任の所在をめぐっては、二つの対照的な処方が並ぶ。 Herbosch は、自律的なAIエージェントが起こす損害に対して、製造物責任や医療過誤の先例を適応的に改定すれば既存の不法行為法で対応でき、AIに固有の新しい責任体系は要らないと主張する(L18)。 一方 Custers らは、複数の主体が関与するために責任の帰属先が見えなくなる 多くの手の問題(many hands) を出発点に、責任の空白(liability gap)をむしろ責任の 重複(overlap) と信認義務の組み合わせで解こうとする(L19)。 既存法の適応で足りるのか、新しい配分原理が要るのか。 2024年以降のAI責任研究は、この一点で割れている。

著作権:報告書と判決が同時に動いた

学習データをめぐる著作権は、この時期に 政策文書と裁判が同時に動いた 数少ない領域である。 米国著作権局は「著作権と人工知能」の連作報告を刊行し、2025年1月の Part 2 でAI生成物の著作権適格性を、同年5月の事前公開版 Part 3 で生成AIの学習への著作権法の適用を検討した(L23, L24)。 Part 2 は、人間の実質的な選択や配置を欠くAI生成物は保護の対象外だという方針を再確認する。 Part 3 は、フェアユースの四要素分析とテキストデータマイニング例外の比較、ライセンス市場の展望を示した。

判決は、報告書の整理を追い越す速さで積み上がった。 2025年2月、Thomson Reuters v. Ross Intelligence で、連邦地裁は初めて、AI学習を目的とした著作物の使用にフェアユースの抗弁を退けた(L25)。 同年6月には、Bartz v. Anthropic で Alsup 判事が、学習目的の書籍の複製を「極めて変容的」としてフェアユースを認めつつ、海賊版ライブラリ由来の複製は侵害だと切り分けた(L26)。 数日後の Kadrey v. Meta では、Chhabria 判事が Llama の学習について同じくフェアユースを認めたが、「市場希薄化」の論拠が適切に提示されていれば原告が勝ちえたと明言し、これが普遍的な容認ではないと強調した(L27)。 学習はフェアユースになりうるが、その根拠と反証の余地は事件ごとに揺れている。

この揺れを学説がどう捉えるかを、記憶化(memorization)の問題が象徴する。 Cooper と Grimmelmann は、学習データの実質的な部分を近似的に再現できる状態を記憶化と定義し、機械学習の技術的な概念と著作権法の判断を架橋した(L30)。 Ginsburg は、著作権局 Part 3 を受けて、学習データ投入のフェアユース該当性がなお未確定である判例状況を整理する(L31)。 比較法の視点からは、Wu が、産業志向の米国法と権利志向のEU法を対比し、国連の国際ガバナンスの下で学習に対する公正報酬権を創設する構想を示した(L32)。

欧州の展開は、米国とは別の争点を照らす。 2025年11月、ミュンヘン地方裁判所は GEMA v. OpenAI で、EUのDSM指令が定めるテキストデータマイニング例外(第4条)は、記憶化を生じさせるAI学習には適用されないと判示した(L29)。 歌詞が単純なプロンプトで再現される以上、著作権侵害にあたるという判断である。 英国政府は2026年3月、オプトアウト型のTDM例外を優先政策から撤退させ、現状維持と業界主導のライセンス市場育成を選ぶ「様子見」の方針を報告した(L33)。 学習の適法性という一つの問いに、米国はフェアユースの四要素で、EUはTDM例外の射程で、英国は政策的な様子見で応じている。

未検証事項

  • 欧州評議会の枠組み条約(CETS No. 225, L09)は条文PDFが403で本文未取得。署名日とCETS番号のみ確認。[要一次検証]
  • Colorado AI Act(SB24-205, L11)は2026年5月の SB26-189 で改正予定、施行日も延期。[要最新版確認]
  • Maclure & Morin-Martel(L22)の Digital Society の号数。[要一次検証]
  • Thomson Reuters v. Ross(L25)/Bartz v. Anthropic(L26)/GEMA v. OpenAI(L29)は一次判決文が binary か非公開で、判示を複数の法律事務所解説で突合。[要一次検証]
  • 係争中の New York Times v. OpenAI(L28)と Getty Images v. Stability AI は判決未確定。フェアユース判例は今後の上訴で変わりうる。

参照文献

全33件。一次法源(規則・大統領令・規格・報告・判決)と査読法学論文。URLはWebFetchで到達確認したもの。内部の作業台帳は source/review/ai-law-governance-research-trends/papers.md。関連する経済学の潮流は ai-economics-research-trends、社会科学の潮流は ai-social-science-research-trends を参照。

A. AI規制の一次法源と政策文書

B. 説明責任、監査、透明性、責任、ガバナンス、倫理の制度化

C. 著作権と知財とLLM学習(学説、一次法源、判決)


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