Shuichiro Ogawa
English

ノート · updated 2026-09-22

「〇〇 Fiction」系の方法は何を考え、何を期待されてきたのか

SF プロトタイピング、design fiction、critical design と speculative design、diegetic prototype、speculative fiction、experiential futures、social fiction を扱う学術文献を、どこから来た考え方か、互いにどう違うか、導入する側が何を期待してきたかの三点で読んだ。

目次(6)
  1. 四つの出どころ
  2. 何が違うのか
  3. 導入する側は何を期待してきたか
  4. 期待と考え方がずれるところ
  5. まだわかっていないこと
  6. Footnotes

未来を考えるワークショップの企画書には、SF プロトタイピング、design fiction、スペキュラティブデザインといった名前が並ぶ。 どれも「フィクションを使って未来を考える」方法として紹介され、同じものの言い換えのように扱われることも多い。 呼び名が違うだけで、中身はほぼ同じだろうと思っていた。

ところが、それぞれの提唱者が書いたものを読むと、同じフィクションに期待している仕事が逆向きの場合がある。 ある方法はフィクションを製品やイノベーションに近づける道具として生まれ、別の方法は製品化の流れから距離を取るために生まれた。 どちらを選ぶかで、ワークショップの終わりに何を持ち帰るつもりなのかが変わる。

このノートは、「〇〇 Fiction」系の方法について、どこから来た考え方か、互いにどう違うか、導入する側が何を期待してきたかを扱う学術文献を整理する。 収集は OpenAlex、Crossref、Semantic Scholar、J-STAGE などを横断して行い、選別後の文献を台帳に載せた。 参加者や組織に実際にどんな効果があったかは、既存のノート SF プロトタイピングと design fiction は何をもたらすのか に分けてある。

四つの出どころ

名前の似た方法群は、少なくとも四つの別々の場所から出てきた。 SF と技術開発の交わり、RCA(英国王立芸術大学)のデザイン批評、未来学(futures studies)、文学のジャンル論である。

SF と技術開発から来たもの

diegetic prototype は、映画研究の Kirby が2010年の論文で導入した語である。 Kirby は、SF 映画の制作者が科学顧問とともに未来技術を描くとき、その描写が大勢の観客に技術の必要性、実現可能性、無害さを示すと論じた。 映画の中の技術は物語世界(diegesis)の中にしか存在しないが、その世界では普通に使われる道具として描かれる。 Kirby の関心は、この描写が現実の研究資金や試作品づくりにつながる経路にあった。

SF プロトタイピング(science fiction prototyping、SFP)は、Johnson が提唱した手法である。 Johnson は2009年の Intelligent Environments の論文で、SF プロトタイプを、現在の科学研究、理論、実践を SF 小説という虚構の形式と組み合わせる技法として紹介した。 同じ要旨の結びで Johnson は、SF プロトタイプを使ってイノベーションを促し、現代科学の境界を探ることを呼びかけている。 出発点は技術であり、行き先はイノベーションである1

RCA のデザイン批評から来たもの

critical design は、Dunne と Raby が RCA で育てた考え方である。 二人は自身のサイトに置いた FAQ で、この語は Dunne の Hertzian Tales(1999)で初めて使われ、Design Noir(2001)に引き継がれたと書いている。 同じ FAQ は critical design を「製品が日常生活で果たす役割についての狭い前提、先入観、所与を、思弁的なデザイン提案によって問い直すもの」と定義し、その反対語を「現状を補強するデザイン」(affirmative design)とした。 何のためにあるのかという問いには、「主に考えさせるため」と答えている。

のちに二人は Speculative Everything(2013)で、この営みを speculative design の名で広げた。 同じ RCA で学んだ Auger は、speculative design には二つの目的があると論じた。 未来について考えられるようにすることと、現在のデザインの実践を批判することである。 Auger は、作品が見る人とつながるための手段を「知覚の橋」(perceptual bridge)と呼び、技術、美しさ、ふるまい、機能をどう思弁するかを注意深く管理することが提案の成否を分けるとした。

Malpass は、批評的なデザイナーへの聞き取りから、風刺、合理性、物語の三つを際立った概念として取り出し、批評的な実践を associative design、speculative design、critical design の三種に分けた。 三種を分ける基準は、それぞれが使う風刺の技法である。

design fiction は、SF 作家の Sterling が2005年に作った語である(Lindley と Coulton 2015 の要旨による)。 Bleecker は2009年のエッセイでこの語を広め、その中で Kirby を「diegetic prototype という言い回しを作った人」として紹介し、Sterling の interactions 誌の論考にも言及した。 design fiction の事実上の定義として引かれる「変化についての不信を一時停止させるための、diegetic prototype の意図的な使用」は、Sterling が2012年のインタビューで語ったものである。 Coulton、Lindley、Sturdee、Stead(2017)は、この定義がインタビューに由来することを示したうえで、design fiction は物語や語りと本来の結びつきを持たない「世界を作る」(world building)活動だと論じた。 Lindley と Coulton(2015)は、この語が HCI で広く使われる一方で、解釈に本来的なあいまいさがあると指摘している。

未来学から来たもの

experiential futures は、未来学者の Candy が2010年の博士論文で提案した語である。 Candy は experiential scenario を、見かけ上の未来世界の断片を、画像、人工物、パフォーマンスなど任意の媒体で具体化したものと定義した。 その目的は、文章や統計でシナリオを表すやり方よりも深く、一つ以上の未来について考え、議論できるようにすることにある。 Candy はこの実践を、未来学、デザイン、政治の三つが交わる場所に置いた。 謝辞には Bleecker、Sterling の名があり、Dunne と Raby の授業に招かれた経験も書かれている。 デザイン側の系譜と同じ時期に、同じ人々と行き来しながら作られた概念である。

未来学からは、可能性の広がりを円錐で描く図も来ている。 Candy は、この円錐を Voros(2003)の16頁の図に基づいて描き、Voros の図は Hancock と Bezold(1994)に由来すると注記した。 possible、probable、preferable の三つに plausible を加えたのは Henchey(1978)だとも書いている2

未来学とデザインの合流は、Candy と Potter が Journal of Futures Studies の特集「Design and Futures」の序文で、二つの分野が対話と実験を通じて合わさりつつあると書いた時点で、分野の側からも認められている。 合流の場で橋渡しの概念になったのが world building である。 Zaidi(2019)は、世界は一つの物語を超えて広がる、詳細な文脈の規則の集まりを与えると述べた。 Zaidi は、von Stackelberg と McDowell(2015)による「地理的、社会的、文化的な特徴が一貫した想像上の世界の創造」という worldbuilding の定義を引いている3

文学のジャンル論から来たもの

speculative fiction は、方法ではなく文学のジャンルの呼び名である。 Oziewicz は Oxford Research Encyclopedia of Literature の項目で、この語に歴史的に三つの意味があったと整理した。 技術ではなく人間の問題を扱う SF の下位ジャンル、あり得る未来だけを扱う点で SF と対立するジャンル、日常経験の「合意された現実」を模倣しないすべてのジャンルを包む上位カテゴリーである。 Oziewicz は、厳密な定義を探すより、明確な境界ではなく典型例との類似で決まる「ファジー集合の上位カテゴリー」として理論化するほうがよいと述べている。 design fiction や SF プロトタイピングがフィクションを「作って使う」のに対し、speculative fiction はすでに書かれた作品群を分類するための語である。

social fiction には、系統の違う二つの用法がある。 学術の側では、Leavy が2022年に Re/Invention: Methods of Social Fiction を出し、社会調査の知見に基づいて書く創作を質的研究の方法として扱った。 出版社の紹介は、この本を、social fiction とは何か、どう書くかを網羅した最初の手引き(the first comprehensive guide)としている。 もう一つは Yunus が講演やインタビューで使う用法で、社会の未来をまず物語として書こうという呼びかけである。 Yunus の用法を方法として定義したり検討したりした学術文献は、今回の探索では見つからなかった。

何が違うのか

四つの出どころを並べると、方法どうしの違いは、フィクションで何を作るかよりも、作ったものをどこへ向かわせたいかに現れる。

一方の端には、フィクションを製品化やイノベーションへ近づけたい方法がある。 Johnson の SF プロトタイピングはイノベーションの促進を掲げ、Kirby の diegetic prototype は現実の研究資金と試作品につながる経路として論じられた。 もう一方の端には、製品化の流れから距離を取り、問いを残したい方法がある。 Dunne と Raby は critical design の反対語を「現状を補強するデザイン」とし、Galloway と Caudwell(2018)は、critical design と speculative design が問題解決というデザインの伝統的な要請に従わず、現状を中断して「別様に想像する」ことを見る人に求めると書いた。

Pierce(2021)は、この違いを理論の言葉で整理した。 Pierce は、デザインは最終的に生産へ収束することを目的とするという見方を「progressional」と呼び、生産へ向かう目的の前提を大きく緩め、さらなる前進と最終的な生産に抵抗する見方を「frictional」と呼んだ。 どちらも、デザインは可能な未来を部分的に先取りして形にするという「prefiguration」の考えに支えられているとした。 この言葉を当てはめると、イノベーションを掲げる SF プロトタイピングは progressional の側に、現状の補強を拒む critical design は frictional の側に位置づけられる。 design fiction はその中間にあり、Lindley と Coulton が指摘したあいまいさは、この両方向の使われ方から来ていると読める。

上位の枠組みで束ねる試みもある。 Tharp と Tharp(2013)は、製品デザインの実践を commercial、responsible、experimental、discursive の四つに分けた。 discursive design は、心理、社会、イデオロギーにかかわる議論の余地のある問題への気づきを高める「考えるための道具」であり、critical design などを含む傘のカテゴリーとして提案された。 Tharp と Tharp は、デザイナーが作品を公開したところで仕事が終わる terminal な形と、研究者が作品をプローブのように使って人々の反応と価値にもとづく対話を引き出す instrumental な形も区別している。 DiSalvo の adversarial design は、Mouffe の政治理論を土台に、デザインによって対立と論争の経験を生み出すことを目指す(Kiem 2013 の書評による整理)。

ただし、こうした区別は理論として固まってはいない。 Johannessen、Keitsch、Pettersen(2019)は、speculative and critical design(SCD)の理論的な基盤は弱く、概念と方法は事例だけで支えられていると書いた。 既存ノートで扱った Schimpf ら(2026)も、SF に関連する手法を17種まで数えている。 名前の数ほど、考え方の区別がはっきりしているわけではない。

導入する側は何を期待してきたか

方法の考え方とは別に、導入する組織や研究者が掲げる期待がある。 文献からは、場面ごとに五つの期待が読み取れる。

組織の予見

企業と公的組織では、SF は未来を予見し、備える道具として期待されている。 Johnson は SF プロトタイプをイノベーションの促進に結びつけた。 Hiltunen と Huhtinen(2024)によれば、カナダ、米国、英国、フランス、オーストラリア、NATO の軍や防衛組織が、将来の戦争を予見し備えるために SF を使いはじめている。 二人は NATO の報告書 Visions of Warfare 2036 の12の物語を分析し、物語どうしが似通っていたことから、より多様なシナリオを作るためのカードを作った。 Kymäläinen(2016)は、SF プロトタイピングを、新興技術の研究とフォーサイトのあいだで議論を喚起する方法として紹介した4

責任ある研究とイノベーションの予期

技術ガバナンスの分野では、フィクションは「予期」(anticipation)の道具として位置づけられてきた。 Guston(2014)は予期的ガバナンスを「新興の知識基盤型技術を、その管理がまだ可能なうちに管理するために、社会全体に広がる能力」と定義し、それがフォーサイト、関与、統合の能力づくりを動機づけると書いた。 Stilgoe、Owen、Macnaghten(2013)は、責任あるイノベーションの四つの次元として、予期、省察、包摂、応答を挙げた。 この二つはフィクションそのものを論じた文献ではない。 既存ノートで扱った Stahl ら(2014)が介護ロボットの SF プロトタイプを RRI の実践例として示したように、フィクションはこの枠組みの「予期」を具体化する手段として持ち込まれている。

政府についても、Kimbell と Vesnić-Alujević(2020)は、フォーサイトとデザインの手法が将来の不確実性を目に見えるものにし、公共政策の議論への参加と省察を開く能力を生むと論じた。

HCI での価値の引き出し

HCI の研究では、フィクションは、まだない技術について人々の価値観を引き出す道具として期待されている。 Wong、Mulligan、Van Wyk、Pierce、Chuang(2017)は、批評的、思弁的、価値中心のデザインの手法が、製品開発の早い段階で社会的な価値についての省察を引き出せると論じ、思弁的な design fiction を集めたワークブックを、将来の技術者となる大学院生への聞き取りで使った。 Wong、Van Wyk、Pierce(2017)は、小説 The Circle を出発点に、センシング技術をめぐる社会、技術、法の配置を design fiction で探っている。

Tanenbaum、Pufal、Tanenbaum(2016)は、研究の道具としてのフィクションができることを三つ挙げた。 未来についての異なる価値の前提を採用してその帰結を探ること、その帰結を論文より受け取りやすい形で広い人々に伝えること、身近に感じられるディストピアの感情的な重さから距離を取り、別の未来を「遊んでみる」余地を作ることである。

市民参加では、Schuijer、Broerse、Kupper(2021)が、専門知識、リスクの語り、固定した世論観に偏りがちな従来の関与の型を抜け出すために、市民が共同で試作品を作り物語を書く形式を試した。

倫理と未来の教育

教育では、倫理的な熟慮と、未来を扱う力の育成が期待されている。 Orchard と O’Gorman(2024)は、技術産業がもたらす害を背景に、工学設計の流れの中でより厳密な倫理的熟慮が必要だとし、将来の技術者の教育に critical design の手法を入れる二つの介入を報告した。 二人は critical design を、無反省な技術の進歩に抵抗する芸術に根ざした研究実践と位置づけている。

UNESCO の Futures Literacy は、より広い期待を掲げる。 Miller が編んだ Transforming the Future(2018)は、Futures Literacy を、予期のシステムと過程の理解を定義する道具として使い、30を超える Futures Literacy Lab の証拠を示すとしている。

周縁のコミュニティの想像

参加型デザインでは、周縁に置かれてきた人々が自分たちの未来を想像する手段として期待されている。 Bray と Harrington(2021)は、思弁的な参加型デザインの手法は周縁の集団が未来を想像するのに役立つが、黒人と褐色の人々の生きられた経験を考慮した研究用のプローブは HCI にまだないとして、Afrofuturism の視点に立つ手法カードを作った。 既存ノートで扱った Dillahunt ら(2023)のデトロイトのワークショップも、この系譜にある。

期待と考え方がずれるところ

五つの期待を方法の出どころと突き合わせると、ずれが見えてくる。 本ノートの整理では、組織の予見は progressional な期待であり、倫理教育、価値の引き出し、周縁の想像は frictional な考え方に近い。 frictional な方法を progressional な場に持ち込むと、方法の考え方と場の要請がぶつかる。

その衝突は、企業との共同研究で観察されている。 Ringfort-Felner ら(2023)は、自動車メーカーと1年以上にわたり自動運転車の近未来を design fiction で探り、24点の人工物を作った。 その過程で、製品中心の発想と、具体的なイノベーションで過程と成果を正当化する必要に押されて、思弁的なデザインよりも現状を肯定するデザインへ傾く流れが生じたと報告している。 思弁は技術の未来について興味深い問いを生んだが、それを具体的なデザインの示唆に変えることは難しかった。

市民参加でも、似た緊張が報告されている。 Schuijer らは、試作が技術科学の枠組みを再生産し、技術の方向と含意への批判的な省察を妨げうる「デザイナーの誤謬」(the designer fallacy)を落とし穴として警告した。 Bray ら(2022)は、Afrofuturism に立つツールキットについてコミュニティのデザイン実践者27名に聞き取りを行い、想像的なデザイン実践への望みと、社会問題の差し迫った重さとのあいだに緊張があることを見出した。

批判は、frictional な側の方法そのものにも向けられている。 Tonkinwise(2014)は、Speculative Everything の書評で、Dunne と Raby の議論と作品の底にある「買い物」の枠組みと趣味の体制を批判した。 Kiem(2013)は、DiSalvo の Adversarial Design について、政治的なデザインが研究室、デザインギャラリー、巧みなデザイナーの開くセミナー、同種の本からなる自己完結した世界の外で違いを生むとは考えにくいと書いた。 SpeculativeEdu の総説(Mitrović、Hanna、Helgason 2021)は、speculative design への批判をまとめ、特権的でヨーロッパ中心的だという批判、美術館やギャラリーの中に閉じるという批判、企業に取り込まれて現状を支える実践に戻るという批判を挙げている5。 教育の側でも、Jennische と Sörbom(2022)は、UNESCO の Futures Literacy が、予期を生物に根本的な能力とみなし、働きかけて自己制御できる倫理的な素材として扱う前提に立っていると分析し、個人の次元での統治として批判的に検討した。

frictional な方法は、製品化の論理から離れようとするほど、ギャラリーや研究の内側に閉じるという批判を受ける。 progressional な場に出ていくと、今度は現状を肯定する方向へ引き戻される。 期待と考え方のずれは、方法の選び方を誤った結果というより、この二つの向きのあいだで方法が引っ張られていることの表れとして読める。

まだわかっていないこと

  • 向きの判定:progressional と frictional の区別は Pierce の理論的な整理であり、個々のワークショップや組織の導入がどちらの向きで設計されたかを記述した研究は少ない。導入時の期待と、実際に持ち帰ったものの対応を追った研究は、本コーパスでは Ringfort-Felner らの1件にとどまる。
  • SF プロトタイピングの定義の一次資料:「実在の技術に基づく短編小説、映画、漫画で含意を探る」という定型の説明は広く流通しているが、Johnson 自身の文言としては、今回確認できた範囲(2009年論文の要旨)にとどまる。2011年の著書の本文は読めていない。
  • social fiction の学術的な位置:Leavy の質的研究法としての social fiction と、Yunus の呼びかけとしての social fiction を結びつけた研究も、Yunus の用法を方法として検討した研究も見つからなかった。
  • 日本語の研究:日本語で書かれた SF プロトタイピングの査読論文はいくつかあるが(既存ノート参照)、概念の系譜や方法どうしの違いを論じた査読文献は、今回の探索(J-STAGE と WebSearch)では見つからなかった。

冒頭の企画書に戻ると、並んだ名前が同じものの言い換えでないことはわかった。 SF プロトタイピングを選んだ企画は、フィクションを製品やイノベーションに近づけることを期待し、critical design や speculative design を選んだ企画は、製品化の流れから離れて問いを残すことを期待していることになる。 一つのワークショップで両方を期待したとき、どちらの向きが勝つのか、両立させる設計がありうるのかは、まだ開いたままである。 それぞれの期待が実際に満たされたかどうかは、SF プロトタイピングと design fiction は何をもたらすのか が扱う。

参照文献

アクセス日はすべて 2026-09-22。

関連ノート

Footnotes

  1. SF 短編を使って技術の社会的な脅威を伝える試みは、Johnson 以前にもある。Chin、Callaghan らは2004年の UN-Habitat の World Urban Forum の資料で、短編小説を使って遍在コンピューティングの問題を示した(非査読)。

  2. Dunne と Raby が Speculative Everything で PPPP の円錐を使ったことはよく紹介されるが、今回は同書の本文を確認できなかった。ただし著者の公式サイトにある2010年作成の展覧会テキスト(Between Reality and the Impossible)で、二人は未来を probable、preferable、plausible、possible に分ける図を「未来学者 Stuart Candy」のものとして紹介している(同テキスト p.131)。円錐の由来は Candy の博士論文の注記に基づく。

  3. von Stackelberg と McDowell の定義は、Zaidi の論文による引用に加え、原典の序論冒頭(Journal of Futures Studies 20(2), p.25)で直接確認した。同じ論文の p.32 には、worldbuilding ではなく storyworld についての近い趣旨の別の定義文がある。

  4. Kymäläinen の論文が載った Athens Journal of Technology & Engineering の発行元 ATINER は、ハゲタカ出版社の疑いを指摘する Beall’s List(ミラー版)に載っている。これは出版社単位の指摘で、この論文の査読過程を調べたものではない。そのため本ノートでは、この論文を紹介の例としてだけ使い、コーパスでは品質フラグを付けている。

  5. 同じ本の別の章は、critical and speculative design へのもっとも一般的な批判として特権への批判を挙げ、その出典に Prado de O. Martins と Vieira de Oliveira(2014)のエッセイを引いている。このエッセイは Medium に公開された非査読の文章で、今回は本文に到達できなかった。


書いた人:小川 修一郎(Design Researcher / Consultant) 経歴を見る →