Shuichiro Ogawa
English

ノート · updated 2026-10-09

最初の有利は運なのか:選択的運と厳然たる運、事前と事後、最初の有利の実証と公平の判断の学術文献から

累積有利の出発点になる最初の有利について、それが運なのか、運ならどの種類の運なのかを、政治哲学、道徳的運の哲学、機会の平等の経済学、自然実験、公平の判断の実験の学術文献 35 件で整理した。「事前的運」「事後的運」という対の語は、CiNii Research の題名と要旨の検索で 0 件で、英語文献にも ex ante luck と ex post luck という運の類型は見当たらなかった。

目次(13)
  1. 最初の有利は、どこから来るのか
  2. スコープと方法
  3. 「事前的運」「事後的運」という語は、どこで使われているか
  4. 選んだ賭けの運と、選ばなかった運
  5. 責任を負える時点の前の運と、後の運
  6. 道徳的運の四つの種類
  7. 経済学の「事前」と「事後」は、運の種類ではなく判断の時点を分ける
  8. 三つの区別の対応
  9. 何が最初の有利になるのか
  10. 人は、運による差をどう裁くのか
  11. 運の平等主義への批判と、識別の限界
  12. 最初の有利について、何が言えるか
  13. 空白(未充足の論点)

最初の有利は、どこから来るのか

持てる者はさらに与えられるのか:累積有利とマタイ効果の機構、因果の識別、限界の学術文献から では、最初に有利だった人がその後も有利を重ねる過程(累積有利)を扱った。 そこでの結論は、初期の成功を無作為に与えるとその後の成功が増えるという過程は確かめられているが、差が必ず広がるとまでは言えない、というものだった。 ただし、そのノートは、出発点の有利が何でできているのかを問わなかった。 実験では有利を研究者が無作為に配るので、出発点は運だと決まっている。 現実の出発点には、生まれた家、生まれた月、卒業した年の景気、くじ、本人の選んだ賭けが混ざっている。

この混ざり方を考える語として、「事前的運」と「事後的運」が思い浮かぶかもしれない。 選ぶ前にすでに決まっていた運と、選んだ後に結果として降りかかる運を分ける、という直観である。 しかし、この直観に一つの語の対が対応しているとは限らない。 運を分ける区別は分野ごとに作られ、同じ「事前」「事後」の語でも、分けているものが違う。

このノートは、まず運を分ける語が分野ごとに何を指すかを確かめ、次に最初の有利になるものを実証研究から拾い、最後に人が運による差をどう裁くかを実験と調査から見る。 読み終えて残る答えは、最初の有利の多くは本人が選んでいない運に由来するが、運の種類によって、有利が続くかどうかも、人がそれを不公平とみなすかどうかも違う、というものである。

スコープと方法

  • 対象:運の平等主義(luck egalitarianism)と道徳的運(moral luck)の哲学、機会の平等(equality of opportunity)の経済学の事前(ex ante)と事後(ex post)、最初の有利になりうる要因(出生順位、相対年齢、卒業時の景気、くじの自然実験)、運による不平等についての人の判断(実験と調査)を扱う査読論文と学術事典の項目。
  • 収集:学術データベース(Crossref、OpenAlex、Semantic Scholar)、日本語の文献は CiNii Research と J-STAGE で集め、重複、撤回、予測誌を除いた。書籍(Roemer の『機会の平等』、Frank の運と成功の一般書)は除いた。本文も要旨も取れなかった Arneson(1989)、Cohen(1989)、Kahn(2010)、Fong(2001)、Gromet ら(2015)は外した。
  • 照合:35 件のうち 29 件は本文(出版版、著者版、ワーキングペーパー版、事典項目のいずれか)を取得し、数値と主張を本文の該当箇所で照合した。ワーキングペーパー版で読んだもの(Fleurbaey と Peragine、Ramos と Van de gaer、Fleurbaey 2010、Black ら、Schwandt と von Wachter、Oyer、Bleakley と Ferrie、Cesarini ら、Deming ら、Alesina と Angeletos、Möllerström ら)は、出版版の要旨と食い違わない主張だけを使い、数値は版を明記した。本文の取れなかった Dworkin(1981)、Lippert-Rasmussen(2001)、Williams と Nagel(1976)の定義は、本文で読めた二次文献(Otsuka 2002、Vallentyne 2002、阿部 2018、スタンフォード哲学百科事典の項目)が引く範囲で扱った。残る 3 件(Bedard と Dhuey 2006、Genda ら 2010、Almås ら 2020)は要旨の範囲で、著者の主張として書いた。
  • 書き方:各節で、定義、何を測ったか(識別)、効果の大きさと持続、限界を分ける。

「事前的運」「事後的運」という語は、どこで使われているか

先に、語の有無を確かめた。 CiNii Research の題名と要旨と件名の検索では、「事前的運」「事後的運」「事前の機会の平等」はいずれも 0 件だった。 英語の文献でも、ex ante luck と ex post luck を運の二つの類型として定義した論文は、今回読めた範囲には見当たらなかった。 この語の対は、少なくとも定着した学術用語ではない。

日本語の文献で定着しているのは、Dworkin の対の訳語である。 阿部(2018)は option luck を選択的運、brute luck を厳然たる運と訳し、Dworkin の定義を訳出したうえで議論を進めた(pp. 298–299)。 西口(2012)は option luck を「選択的運」、brute luck を「非選択的運」と訳している(論文の英題は「Brute luck and equal treatment」)。 「事後的」という語は、阿部(2018)の冒頭に「不運が及ぼす影響を事後的には特定できない」という形で、副詞として現れる(p. 291)。 ここでの「事後的」は、運の影響を後から見分けられるかという問題を指している。

選ぶ前の運と選んだ後の運という直観に近いのは、どの区別か。 近い区別は少なくとも三つあり、それぞれ別の線を引いている。

選んだ賭けの運と、選ばなかった運

最も広く使われているのは、Dworkin(1981)の区別である。 Otsuka(2002)が引く Dworkin の定義によれば、選択的運は「熟慮され計算された賭けがどう転ぶか、つまり、予期すべきであり断ることもできた個別のリスクを受け入れることで、人が得をするか損をするか」であり、厳然たる運は「その意味での熟慮された賭けではないリスクがどう降りかかるか」である(Otsuka 2002, p. 40)。 同じ定義は、Vallentyne(2002, p. 533)と、スタンフォード哲学百科事典の Lippert-Rasmussen の項目(Dworkin 2000 の再録頁 73 として)にも引かれている。 項目の例では、遺伝の病気で急に失明するのは悪い厳然たる運で、宝くじを買って当たるのは良い選択的運である。

この区別は、運の種類を、出来事の性質ではなく、本人がそのリスクを引き受けたかどうかで決める。 そのため、保険が区別を動かす。 Otsuka(2002, p. 43)が引くように、Dworkin は、保険が手に入るかぎり、破局に備える保険を買うか断るかは計算された賭けなので、保険は厳然たる運と選択的運をつなぐと主張した。 失明そのものは厳然たる運でも、保険を断っていたなら、失明の結果として困窮することは選択的運になる。 Otsuka はこの主張を批判し、保険への平等な機会があっても運の問題は解消しないと論じた。

選択的運の側にも、さらに区別がある。 阿部(2018, p. 299)によれば、Lippert-Rasmussen(2001, pp. 555–556)は、賭けること自体を好んで行う「厳密な意味でのギャンブル」と、期待値を得るために行う「疑似ギャンブル」を分けた。 カジノの賭けで幸運な人から不運な人へ再分配すれば選択の意味がなくなるが、疑似ギャンブルでは同じことが言えない、という議論である。 Lefranc ら(2009, 脚注 9)は、Lippert-Rasmussen(2001)が、選択的運という考えは当事者が結果の確率について同じ見積もりを共有していることを前提にしている、と強調したことに触れている。

Dworkin の区別は、累積有利の出発点を考えるときに一つの線を引く。 本人が引き受けた賭けで得た有利は選択的運、引き受けていないリスクで得た有利は厳然たる運である。 ただし、この区別には、いつの運かという時間の軸がない。

責任を負える時点の前の運と、後の運

時間の軸を入れたのが Vallentyne(2002)である。 Vallentyne はまず、厳然たる運を「予見できる選択の結果でないもの」と定義すると不十分だと論じ、合理的に避けられたかどうかで考える見方を検討した(pp. 531–533)。 そのうえで、厳然たる運には、初期の機会の運(生まれつきの遺伝的素質や最初の社会的位置)と、ある種の結果の運(避けようのない落雷が実際に起きるかどうか)が含まれると書いた(p. 538)。 Vallentyne の主張は、正義が求めるのは厳然たる運の差をすべて埋めることではなく、初期の機会の価値を等しくすることだ、というものである(p. 529)。 初期の機会の平等は、各人が人生の最初に直面する決定の木の価値を等しくすることを求め、厳然たる運の平等は、それに加えて後から起きる厳然たる結果の運の差も埋めることを求める(p. 539)。

Lefranc ら(2009)は、この区別を初期の厳然たる運(initial brute luck)と後の厳然たる運(later brute luck)の対として要約した。 初期の厳然たる運は、個人が自分の選択に責任を負えるとみなされる時点までに生涯の見通しに影響する要因の集まりで、後の厳然たる運はその時点より後の運である。 「責任を負える時点」をいつに置くかについて、Vallentyne は、感覚をもつようになった時点と、完全な道徳的地位を得る時点(たとえば成人)の二つの候補を挙げ、どちらかは決めずにおいた(p. 540)。

この区別は、「選ぶ前の運」という直観に最も近い。 生まれた家や遺伝的素質は、初期の厳然たる運にあたる。 卒業した年の景気は、責任を負える時点の後に起きる、本人の選んでいない運なので、後の厳然たる運にあたる。 Vallentyne の立場では、後の厳然たる運による差は、初期の機会が等しく、その運が人々の間で偏りなく降りかかるなら、必ずしも埋める必要がない。 Lefranc ら(2009)は、初期の見通しを等しくしても、人は事後に(ex post)厳然たる運の結果として違う結果に至りうるが、その運が事前に(ex ante)公平に、つまり出自と無関係に降りかかることは保証される、と書いた。

Rawls(1999)の自然のくじ(natural lottery)は、初期の厳然たる運のうち、生まれつきの能力の配分を指す語である。 Rawls は、才能の自然な分配によって所得と富の分け前が決まることを許す制度は、自然のくじの結果に分配を委ねることになり、その結果は道徳の観点から恣意的だと書いた(p. 64)。 同じ頁で Rawls は、努力しよう、試みようとする意志でさえ、恵まれた家庭と社会の事情に依存すると書いている。 努力を選択の側に置く Dworkin の区別に対して、Rawls は、選択の能力そのものが初期の運に左右されると指摘していたことになる。

道徳的運の四つの種類

道徳的運の哲学は、別の問いから運を分けた。 問われるのは、本人の統制を超えた要因に左右される行為を、道徳的に評価してよいか、である。 スタンフォード哲学百科事典の Nelkin の項目によれば、Nagel は運を四つに分けた。

  • 結果的運(resultant luck):物事がどう転ぶかの運。同じ意図と計画をもった二人の運転手のうち、一人だけが飛び出してきた子どもをはねる場合。
  • 状況的運(circumstantial luck):自分が置かれた状況の運。1930 年代のドイツにいたためにナチスに協力した人は、もし 1929 年に勤め先の都合でアルゼンチンに移っていれば、模範的な人生を送ったかもしれない。
  • 構成的運(constitutive luck):自分が誰であるか、どんな性格や性向をもつかの運。遺伝子、養育者、仲間、その他の環境が人を作り、それらは本人の統制の外にある。
  • 因果的運(causal luck):Nagel の言う「先行する状況によって人がどう決定されるか」の運(Nagel 1979, p. 60 として引かれる)。自由意志の問題そのものであり、構成的運と状況的運の組み合わせで尽くされるとする見方もある。

日本語の訳語(結果的運、状況的運、構成的運、因果的運)は、このノートで当てたものである。 「事前的運」と「事後的運」の直観に引き寄せれば、構成的運と因果的運は行為の前にある運、結果的運は行為の後に結果として決まる運である。 状況的運は、生まれた時代と場所のように行為の前に決まる部分と、行為の途中で置かれる状況の部分の両方を含む。

ただし、道徳的運の区別は、責任と非難の帰属を問うためのもので、分配の公正を問う Dworkin や Vallentyne の区別とは目的が違う。 同じ「構成的運」でも、道徳的運の議論では「性格のせいで行った行為を非難してよいか」が問われ、運の平等主義では「素質の差による不利を補償すべきか」が問われる。 Lefranc ら(2009)は、遺伝によって受け継いだ才能の差を「遺伝的な運」(genetic luck)と呼び、構成的運や Rawls の自然のくじにあたる概念として位置づけた。

経済学の「事前」と「事後」は、運の種類ではなく判断の時点を分ける

経済学の機会の平等の文献では、事前(ex ante)と事後(ex post)は、運の種類の名前ではない。 Fleurbaey と Peragine(2009 年のワーキングペーパー版)によれば、事後の接近法は、同じ努力をした人々の間の結果の不平等に着目し、そのために個人の努力を特定する必要がある。 事前の接近法は、同じ環境(circumstances)をもつ人々の集団の結果の見通しの差に着目する。 著者らは、環境は決まったが努力はまだ決まっていない事前と、すべてが決まった事後の区別は、必ずしも実際の時間の順序に対応せず、倫理原則を直観的に解釈するための便宜だと断っている。 そのうえで、事後の機会の平等に動機づけられた研究者が、事前の機会の平等を同じ考えのもう一つの表現だと思い込むのは罠で、両者は違うと示した。 Ramos と Van de gaer(2012 年のワーキングペーパー版)は、事後の補償と事前の補償を公理として定め、両者が一般には同時に満たせないことを例で示した。

この文献では、運は努力と環境に並ぶ第三の要因として扱われる。 Lefranc ら(2009)は、結果に影響する要因を、補償すべき環境、正当な不平等の源である努力、そして効果が偏りなく及ぶべき運の三つに分け、運を四つの理念型で例示した。 家族の社会的つながりの差(社会的背景の運、Rawls の社会的くじ)、遺伝的な才能の差(遺伝的な運)、避けられない抽選(例としてベトナム戦争の徴兵抽選)による後の厳然たる運、そして Dworkin の選択的運にあたる情報を得たうえでの選択的運である(pp. 1190–1191)。 著者らは、社会的背景の運は完全に補償されるべきだという点ではほとんどの論者が一致するが、遺伝的な運と選択的運の扱いでは意見が分かれる、とまとめた。

測定の面では、事前の見通しは観察できない。 Lefranc ら(2009)は、機会の平等の定義はどれも、運の程度を知る前の結果の分布、つまり事前の分布を等しくすることを求めるが、事前の分布は経験的に観察できず、観察できるのは同じ型の人々の事後の分布だけだと書いた(§3.3)。 同じ型の人々が共通の衝撃を受ける場合(同じ年に悪天候に見舞われた農家の子どもたち)、事後の分布は事前の見通しと食い違う。 どんな注意を払っても、実証で検定されるのは事後の見方だ、と著者らは認めている。

厚生経済学では、リスクのある社会状況の評価で、同じ対立が先に論じられていた。 Fleurbaey(2010、ワーキングペーパー版)は、各人の期待効用の分布に不平等回避を当てる事前の平等主義と、実現した結果の分布の不平等を期待値で評価する事後の平等主義を対比した。 事前の平等主義には、気候変動で高緯度か低緯度のどちらかが損をするが、どちらになるかは分からない場合、各人の期待効用が下がらなければ無害と判断してしまう、という難点がある。 事後の平等主義には、どの結果でも不平等が生じない場合でも、個人の事前の選好を尊重しないことがある、という難点がある。

三つの区別の対応

「事前的運」「事後的運」の直観を、三つの区別に照らすと、次のようになる。

分野区別何で分けるか「選ぶ前の運」に近いもの「選んだ後の運」に近いもの主な文献
政治哲学(運の平等主義)選択的運と厳然たる運本人が引き受けた賭けか厳然たる運選択的運(賭けの結果)Dworkin 1981、Otsuka 2002、阿部 2018
政治哲学(初期の機会の平等)初期の厳然たる運と後の厳然たる運責任を負える時点の前か後か初期の厳然たる運後の厳然たる運Vallentyne 2002、Lefranc ら 2009
道徳的運の哲学結果的、状況的、構成的、因果的行為の評価が何に左右されるか構成的運、因果的運結果的運Nagel(Nelkin による)
機会の平等の経済学事前と事後公平を判断する時点(努力が決まる前か後か)運の種類ではない運の種類ではないFleurbaey と Peragine 2013、Ramos と Van de gaer 2016
厚生経済学事前の平等主義と事後の平等主義期待効用で見るか、実現した結果で見るか運の種類ではない運の種類ではないFleurbaey 2010

この表で分かるのは、「選ぶ前か後か」という一つの軸に見える直観が、実際には二つの軸を混ぜていることである。 一つは、本人が選んだかどうか(選択的運と厳然たる運)である。 もう一つは、いつ起きたか(初期と後)である。 卒業年の景気は、本人が選んでいないが、責任を負える時点の後に起きる。 賭けとしての起業は、本人が選んだもので、やはり後に起きる。 生まれ月は、本人が選んでおらず、初期に決まる。 最初の有利を分類するには、この二つの軸を別々に立てる必要がある。

何が最初の有利になるのか

実証の文献は、哲学とは逆の向きから運を使う。 経済学の自然実験は、本人の選んでいない無作為の割り当て(生まれ月、卒業年、くじ)を探し、それを使って因果を識別する。 こうして識別される有利は、定義上、厳然たる運による有利である。 以下では、初期の厳然たる運と後の厳然たる運に分けて、有利がどれだけ大きく、どれだけ続くかを見る。

生まれた順番と生まれた月

出生順位は、初期の厳然たる運の典型である。 Black、Devereux と Salvanes(2005)は、ノルウェーの全人口のデータで、家族の人数と出生順位が子どもの教育に与える効果を分けた。 家族の人数と教育の負の相関は、出生順位を統制するか双子の出生を操作変数に使うと、ほとんど消えた。 一方で、出生順位は教育に有意で大きな負の効果をもち、成人後の所得、就業、10 代の出産にも、特に女性で出生順位の効果が見られた(ワーキングペーパー版の要旨と本文)。 後に生まれた子ほど教育で不利だという結果である。

生まれ月の効果は、持てる者はさらに与えられるのか:累積有利とマタイ効果の機構、因果の識別、限界の学術文献から で相対年齢効果として扱った。 そこで見たように、学年で最も若い子どもは年長の子どもより得点が低く(Bedard と Dhuey 2006 の要旨)、ノルウェーでは入学年齢の所得への効果が 30 歳までにほぼ消えた。 日本については、Kawaguchi(2011)が、4 月 1 日を区切りとする日本の学年制度を使って調べた。 著者版によれば、4〜6 月生まれの生徒は 1〜3 月生まれの生徒より、4 年生と 8 年生のテストで 0.11〜0.22 標準偏差高かった。 1968 年生まれの男性では、最終的な教育年数が 4〜6 月生まれで 13.20 年、1〜3 月生まれで 13.03 年で、1〜3 月生まれの男性の年収は 4〜6 月生まれより 3.9% 低かった。 女性では教育年数の差(12.96 年と 12.88 年)はあったが、年収の差は見られなかった。 日本では、生まれ月という初期の運が、教育年数を通して男性の所得まで届いていた。

社会に出た年の景気

卒業年の景気は、後の厳然たる運の典型である。 本人は進学や就職の時期をある程度選べるが、どの年に景気が悪くなるかは選べない。

Oreopoulos、von Wachter と Heisz(2012)は、カナダの大学卒業者の大規模な縦断データで、卒業時の失業率の効果を調べた。 典型的な不況(失業率の 5 ポイントの上昇)は、初年度の所得を約 9% 下げ、その損失は 5 年で半分になり、10 年でほぼ 0 になった。 10 年間の累積所得の損失は約 5% だった。 効果は人によって違い、大学と専攻から予測される所得が最も低い層では、累積所得の損失が 8% で、中央の層のほぼ 2 倍、最上位の層の 4 倍を超えた。 損失の回復は、最初に入った低賃金の雇用主から、より良い雇用主へ移ることを通して起きた。 有利な層はすぐに良い雇用主へ移れたが、不利な層では景気による格下げが長く残った。

日本の結果は、さらに持続的である。 Genda、Kondo と Ohta(2010)の要旨によれば、日米の比較可能な労働力調査で、学歴の低い日本の男性では、不況期に労働市場に入ったことの所得への負の効果が強く持続したが、学歴の低い米国の男性では長期の効果が見られなかった。 日本の男性での効果の大きな部分は、正規雇用に就く確率の低下によるものだった。 著者らは、二重構造の労働市場では、不況期に卒業した人が二次的な部門に閉じ込められやすい、という機構を挙げた。

米国の 1976〜2015 年の労働市場参入者を調べた Schwandt と von Wachter(2019)の要旨も、所得と賃金の持続的な低下を、特に不利な層で見いだし、政府の支援の増加はそれを部分的にしか相殺しなかったと述べる。 Oyer(2008)の要旨は、MBA の在学中の株式市場の状況が、卒業後すぐにウォール街に行くかを大きく左右し、すぐにウォール街で働き始めることが、後にそこで働き続け、平均して大幅に多く稼ぐことの原因になると述べ、投資銀行家は生まれつきではなく状況によって「作られる」と結論した。

後の厳然たる運は、入口での振り分けを通して効く。 最初の雇用主、正規か非正規か、どの業界に入るかという振り分けが、その後の経路を決める。 そして、その振り分けの効果は、もともと不利な層で長く残る。

くじで配られた富と、くじで配られた学校

くじは、運を研究者が作らなくても、現実に無作為の割り当てが起きる場面である。 富を配るくじの結果は、最初の有利が持続しないことを示した。

Bleakley と Ferrie(2016)は、1832 年のジョージア州の Cherokee 土地くじを使った。 州の成人白人男性のほぼ全員が参加し、当選者は中央値に近い水準の富を、本人の特性と無関係に得た。 Bleakley と Ferrie が当選者の子孫を約 50 年追跡すると、当選者は子をやや多くもったが、子をより多く学校に通わせはしなかった。 当選者の息子は、成人後の富、所得、識字で非当選者の息子より良くなく、孫の識字と就学も良くなかった(出版版の要旨)。 Bleakley と Ferrie は、この環境では、家族の金銭的資源が次世代の人的資本の形成に果たす役割は限られ、家系を通じて持続する別の要因のほうが重要でありうると結論した。

Cesarini、Lindqvist、Östling と Wallace(2016)は、スウェーデンの宝くじの当選者の行政データで、同じ問いを現代について調べた。 出版版の要旨によれば、富は成人の死亡や医療の利用にほとんど影響せず、子については、くじの後の数年に医療の利用が増え、肥満のリスクが下がる可能性があったが、学業成績や技能を含む他の多くの結果への効果は 0 の周りの狭い範囲に収まった。 Cesarini らは、広い社会保障のある豊かな国では、富そのものの因果効果は、富と死亡の関連の主な源でも、子の発達と家計所得の関連の主な源でもない、と結論した。

学校を配るくじの結果は、これとは違う。 Deming、Hastings、Kane と Staiger(2014)の要旨によれば、米国シャーロット・メクレンバーグ学区の学校選択のくじで当選し、第一志望の学校に通った生徒は、大学への進学と学位の取得が全体として有意に増えた。 効果は学校の質の向上で強く予測され、女子に集中した。

富のくじと学校のくじの結果の違いは、運がどの経路に配られたかの違いとして読める。 家族の金銭的資源は、少なくともこれらの環境では、次の世代の人的資本に変わりにくかった。 一方で、どの学校に入るかという振り分けは、卒業年の景気と同じく、その後の経路を変えた。

無作為に与えた初期の成功とモデル

研究者が初期の成功を無作為に与える実験(van de Rijt ら 2014 ほか)は 持てる者はさらに与えられるのか:累積有利とマタイ効果の機構、因果の識別、限界の学術文献から で扱った。 寄付を一つ与えると、その後に集まる寄付は 1.11 件から 2.49 件に増えたが、与える数を増やしても差はほとんど広がらなかった。 この実験の有利は、受け取った側から見れば、引き受けていない厳然たる運である。

Pluchino、Biondo と Rapisarda(2018)は、才能は正規分布に従い、富はべき分布に従うことから出発し、才能と運の役割をエージェントモデルで調べた。 モデルでは、ある程度の才能は成功に必要だが、最も才能のある人が成功の頂点に達することはほとんどなく、平凡だが明らかに運の良い人に追い越された。 これはモデルの結果であり、現実の成功の何割が運によるかを測ったものではない。

人は、運による差をどう裁くのか

哲学は運の種類によって補償の要否を分けたが、人々が実際にそのように判断するかは別の問いである。 これを実験で測ったのが、ノルウェーの研究者を中心とする一連の研究である。

Cappelen、Hole、Sørensen と Tungodden(2007)は、投資の額(本人の選択)と、無作為に割り当てた収益率(運)で生産が決まる独裁者ゲームで、人々の公平観の分布を推定した。 結果の差をすべて不公平とみなす厳格な平等主義者が 43.5%、選択による差だけを公平とみなすリベラルな平等主義者が 38.1%、運による差も含めて生産したものをそのまま受け取るのが公平とみなすリバタリアンが 18.4% と推定された。 人々の公平観は、運による差を公平とみなすかどうかで分かれた。

Cappelen、Konow、Sørensen と Tungodden(2013)は、リスクを取る場面に絞って、事前と事後の対立を直接に測った。 参加者は安全な選択肢とリスクのある選択肢の間で選び、その後、同じ選択に直面した他の参加者と組にされ、二人の稼ぎの合計の分け方を決めた。 組の二人は事前には同じ機会をもっていたが、事後の稼ぎは違いうる。 著者らは、事前の機会に着目する事前の公平観は、機会が同じならリスクの結果の損得を再分配しない根拠を与え、結果に着目する事後の公平観は、リスクから生じた不平等をすべてなくす根拠を与える、と定義した。 推定では、事前の公平観が最も多く、約 40% の参加者の行動を説明した(第三者の観察者で 42.7%)。 すべての事後の不平等をなくす見方は約 30% で、選択の差は認めるが運の差はなくす見方(選択平等主義)が残りを占めた。 運の良いリスク取りと運の悪いリスク取りが組になったとき、観察者は 40% を超える場面で稼ぎを均等に分けたが、運の悪いリスク取りと安全を選んだ人が組になったときは 20% 未満だった。 安全な選択肢の価値を変えて、リスクを避けるのが難しい状況にしても、運の悪い側への移転は合計の約 3 分の 1 で変わらなかった。 多くの人は、事前の機会が同じでも、事後の運による差の一部を再分配すべきだと判断した。

Möllerström、Reme と Sørensen(2014 年のワーキングペーパー版)は、統制できる運(選択的運)と統制できない運(厳然たる運)を独立に起こし、第三者に再分配させた。 運の平等主義に従えば、厳然たる運による損失は、本人が選択的運にどう向き合ったかにかかわらず補償されるはずである。 しかし多くの観察者は、厳然たる運の補償を、本人がリスクのある選択肢を避けたかどうかに条件づけた。 本人の選択が結果に影響しなかった場合でも、である。 Möllerström らはこれを「選択による補償」(choice compensation)と呼び、運の平等主義者は推定でおよそ 1% しかいなかった(出版版の要旨は、この条件づけの発見を述べている)。 人々の判断は、運の原因よりも、本人のふるまいを見ていた。

公平観は年齢とともに変わる。 Almås、Cappelen、Sørensen と Tungodden(2010)は、ノルウェーの 5 年生から 13 年生に、生産量(本人の達成)と、無作為に割り当てた単価(運)で稼ぎが決まる課題を与え、分配を選ばせた(著者版)。 厳格な平等主義者の割合は 5 年生の 63.6% から 13 年生の 22.4% へ減り、達成による差を公平とみなす能力主義者は 5.4% から 42.8% へ増えた。 達成の重要性は年齢とともに増したが、運(単価)の重要性には同じような変化が見られなかった。 子どもたちは、思春期に入るにつれて達成による不平等を公平とみなすようになったが、運による不平等はそうみなさなかった。

国による違いもある。 Almås、Cappelen と Tungodden(2020)の要旨によれば、米国人とノルウェー人に同じ環境で分配を選ばせた大規模な実験で、両者は公平観で有意に違ったが、効率に置く重みでは違わなかった。 Almås らは、不平等の受容には、効率の考慮より公平の考慮のほうが基本的だという因果的な証拠も示した。

運についての信念は、社会の制度とも結びつく。 Alesina と Angeletos(2003 年のワーキングペーパー版)は、世界価値観調査で、所得は運で決まると信じる人ほど左派を自認する確率が高いことを示した。 そのうえで、努力が所得を決めると信じる社会は再分配と税を低くし、その結果として努力が高く運の役割が限られ、信念が自己成就するのに対し、運や生まれやコネが富を決めると信じる社会は税を高くし、その信念も維持される、という複数均衡のモデルを立てた。 信念は事実を映すだけでなく、制度を通して事実を作りうる、というのが著者らの主張である。

成功した人は、自分の成功を運に帰しにくい。 Deffains、Espinosa と Thöni(2016)は、参加者を難しい課題か易しい課題に無作為に割り当て、どちらに割り当てたかを知らせずに、成功した群と失敗した群に分けた。 成功は外から決まっていたにもかかわらず、成功した参加者は成功を運より努力に帰しやすく、再分配を少なく選び、失敗した参加者は失敗を外の要因に帰しやすく、再分配を多く選んだ。 Deffains らは、この自己奉仕的な偏りが、再分配についての見解を二極化させると結論した。 社会の水準では、Mijs(2021)が国際社会調査プログラムの 25 年分のデータで、不平等な社会ほど市民が成功を能力主義的に説明し、家族の富やコネのような能力主義的でない要因を重要でないとみなすことを示した。

運の平等主義への批判と、識別の限界

運の種類で補償を分ける考え方そのものに、強い批判がある。 Anderson(1999)は、Arneson、Cohen、Dworkin、Nagel、Rakowski、Roemer らの立場を運の平等主義と名づけ、それが平等主義の最も基本的な試験である、全市民への平等な尊重と配慮を表すことに失敗していると論じた(pp. 288–290)。 失敗の一つめは、自由の社会的条件を失った人を本人の落ち度だという理由で排除することである。 Anderson の例では、無保険の運転者が過失で違法な方向転換をして事故を起こした場合、運の平等主義の論理では、その人を道端に放置することになる(「過失のある被害者の放棄」、p. 295 以降)。 二つめは、運の悪い人への補償の根拠を、その人の人生や才能が劣っているという事実に置くので、補償が憐れみの表明になり、運の悪い人を烙印づけることである。 三つめは、責任を問うために、人の能力についての屈辱的で立ち入った判断を必要とすることである。 Anderson は代わりに、平等の要点は運の影響を取り除くことではなく抑圧を終わらせることであり、人々が互いに平等な関係に立つ共同体を作ることだとする民主的平等を提案した。

初期の機会の平等にも、限界がある。 スタンフォード哲学百科事典の Lippert-Rasmussen の項目は、カースト社会で、赤ちゃんの出発点を公平なくじで割り当てる例を挙げる。 この社会は初期の機会の平等を実現しうるが、正義にかなうようには見えず、くじがこの社会の不正義を減らすかどうかもはっきりしない。 最初の有利を公平なくじで配っても、有利と不利の差そのものの大きさは問われずに残る。

実証の側にも、運を見分けることの限界がある。 阿部(2018, p. 291)は、選択と不運がそれぞれどの程度影響したかは事後には特定できない、と論じ、それを前提にした仮想保険の構想を検討した。 Lefranc ら(2009)は、前述のとおり、観察できるのは事後の分布だけだと認めた。 自然実験は、運を無作為の割り当てとして識別することで、この限界を部分的に回避する。 ただし、自然実験で識別できるのは、生まれ月、卒業年、くじのように外から割り当てられた運に限られ、遺伝的素質や家庭の環境のような運の大部分は、無作為の割り当ての形では観察できない。

最初の有利について、何が言えるか

冒頭の問いに戻ると、「事前的運」と「事後的運」は定着した学術用語ではなく、その直観は二つの軸を混ぜている。 一つは本人が選んだかどうか(選択的運と厳然たる運、Dworkin)、もう一つはいつ起きたか(初期の厳然たる運と後の厳然たる運、Vallentyne)である。 経済学の事前と事後は公平を判断する時点の区別で、両者は一般には両立しない(Fleurbaey と Peragine 2013)。

実証で識別された最初の有利は、定義上、厳然たる運によるものである。 その持続は、運がどの経路に配られたかで違った。 入口での振り分け(卒業年の景気による最初の雇用主や正規雇用、くじによる学校)を通る運は、もともと不利な層で長く残った(Oreopoulos ら 2012、Genda ら 2010、Deming ら 2014)。 家族に配られた富の運は、子や孫の人的資本にほとんど変わらなかった(Bleakley と Ferrie 2016、Cesarini ら 2016)。 出生順位と生まれ月という初期の運は、教育を通して所得に届くことがあった(Black ら 2005、Kawaguchi 2011)。

人々の判断は、哲学の区別とおおむね対応するが、一致しない。 多くの人は選択による差と運による差を区別し(Cappelen ら 2007、2013、Almås ら 2010)、事前の機会が同じでも運による差の一部を再分配すべきだと考えた(Cappelen ら 2013)。 しかし、厳然たる運の補償を本人のふるまいに条件づける人も多く(Möllerström ら)、成功した人は外から決まった成功を努力に帰しやすかった(Deffains ら 2016)。

以上から、このノートは次のように整理する。 最初の有利を論じるときは、選択の有無と時点の二つの軸で運を分け、さらにその運がどの経路(資源、振り分け、承認)で有利になったかを分ける必要がある。 累積有利の文献が示した「過程」は、この最後の経路の問題であり、どの運が累積の出発点になりやすいかは、振り分けの仕組みに依存する。

この整理は、次のような観察が積み上がれば修正が要る。 家族に無作為に配られた富が、子や孫の教育や所得を持続的に高める結果が、社会保障の薄い現代の環境で複数得られた場合である。 その場合、富の運が人的資本に変わりにくいという結論は、特定の時代と国の性質にすぎないことになる。

空白(未充足の論点)

  • 「事前的運」「事後的運」の出典:日本語の学術文献の題名と要旨の検索では見つからなかった。一般書や講義、特定の著者の用語である可能性は、今回の範囲では調べていない。
  • 運の帰属と再分配の支持:Fong(2001)と Gromet ら(2015)は本文も要旨も取れず外した。運への帰属が再分配の支持を上げない、または政治的立場で変わることを示す査読研究は、今回は本文で確かめられなかった。
  • 成功者による運の過小評価:Deffains ら(2016)の実験が近いが、現実の成功者が自分の成功に占める運の割合を過小評価するかを直接に測った査読研究は見つからなかった。
  • 遺伝のくじ:遺伝的素質を初期の厳然たる運として扱う議論は、累積有利と遺伝率の関係として 努力できるのも才能か:やり抜く力、自己制御、学習意欲の遺伝と、変えられる範囲 で扱った。運の平等主義の文脈で遺伝の実証を組み込んだ査読研究は、今回の範囲では収集しなかった。
  • 運の帰属と対人関係:成果を運と努力と才能のどれに帰すかが、できる側への見方と負担にどう影響するかは できる側のストレスは、なぜ口にしにくいのか:能力の表示、妬まれること、成功を隠すこと、見えない努力の学術文献から で扱った。

未検証事項

  • 主要主張に未検証の項目はない。
  • 本文を取得できず、二次文献の引用の範囲で扱った文献は 3 件ある(Dworkin 1981 は Otsuka 2002、Vallentyne 2002、Lippert-Rasmussen の事典項目、Lippert-Rasmussen 2001 は阿部 2018 と Lefranc ら 2009、Williams と Nagel 1976 は Nelkin の事典項目)。本文中ではいずれも引用元を明記した。
  • 要旨の範囲で扱った文献は 3 件ある(Bedard と Dhuey 2006、Genda ら 2010、Almås ら 2020)。本文中ではいずれも「要旨によれば」として著者の主張に帰属させた。Schwandt と von Wachter 2019、Oyer 2008、Deming ら 2014 はワーキングペーパー版の本文を取得したが、出版版の要旨と同じ範囲の主張だけを使い、本文中では「要旨によれば」と書いた。
  • Kawaguchi(2011)と Almås ら(2010)の数値は著者版、Möllerström ら(2015)の推定値はワーキングペーパー版(2014)のもので、出版版の数値とは照合していない。

参照文献

アクセス日はすべて 2026-10-09。

運の平等主義と運の哲学

機会の平等と事前、事後

最初の有利の実証

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  • Bedard, K., & Dhuey, E. (2006). The persistence of early childhood maturity: International evidence of long-run age effects. Quarterly Journal of Economics, 121(4), 1437–1472. https://doi.org/10.1093/qje/121.4.1437
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書いた人:小川 修一郎(Design Researcher / Consultant) 経歴を見る →