Shuichiro Ogawa
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ノート · updated 2026-10-24 · Markdown 版

知識を封じて実習だけで学ぶ、実習を封じて知識だけで学ぶ(どちらかを封じることに意味があるという主張の文献)

「インプットよりアウトプットが大事」という主張は、同じ素材を見たあとの検索練習と再学習の比較で支えられている。この note はその先の問い、すなわち知識(言語化された説明、教示、解答例)と実習(自分で解く、経験から学ぶ、体を動かす)のどちらかを封じることに意味があるか、を学習科学、認知心理学、教育心理学、哲学、日本語の学習論の文献 88 件で整理した。

目次(5)
  1. 知識を封じることに意味がある条件
  2. 実習を封じることに意味がある条件
  3. 日本語の文献は「教えない」を何だと言ってきたか
  4. 二つの側を分けるもの
  5. 今回確かめられなかったこと

「インプットよりアウトプットが大事だ」という主張には、確かな実験がついている。 同じ文章を読んだあと、もう一度読み直した群より、思い出すテストを受けた群のほうが、1 週間後によく覚えていた(5 分後は 75% 対 81% で読み直しが勝ち、2 日後は 68% 対 54%、1 週間後は 56% 対 42% でテストが勝った。Roediger と Karpicke 2006、p.251)。 けれども、この比較では全員が同じ素材を先に見ている。 知識を与えたうえで、思い出す練習を足すか足さないかの比較であって、知識そのものを封じたわけではない。

この note が問うのは、その先にある。 知識(言語化された説明、教示、解答例)と実習(自分で解く、経験から学ぶ、体を動かす)を混ぜるのがよい、という主張は誰も否定しない。 問いは、どちらかを封じることに意味があるかである。 知識を与えると身につかなくなるものがあるのか。 実習をさせると身につかなくなるものがあるのか。 文献を読む前の予想は、どちらも「ある」だった。 読み終えたあとの答えは、「ある、ただし条件がはっきりしていて、その条件を言わない『封じろ』は通らない」である。

出発点に置くのは、1984 年の一つの実験である。 Berry と Broadbent は、砂糖工場の生産量を目標に合わせる画面上の課題で、参加者に操作を練習させた。 練習を重ねると操作の成績は上がったが、課題の中の関係を問う質問紙の成績は上がらなかった。 逆に、関係を詳しく言葉で教えると質問紙の成績は上がったが、操作の成績は上がらなかった(Berry と Broadbent 1984 の要旨。Dienes と Berry 1997 の p.10 から p.11 が中身を伝える)。 練習と教示は、別のものを育てていた。 教示は操作の成績を下げたわけではない。 操作に効かなかっただけで、害ではない。 二重解離は「混ぜれば両方育つ」とも読める。 封じることに意味があると言えるのは、一方が他方を妨げる証拠があるときか、一方では届かないことの証拠があるときに限られる。 以下では、その二種類の証拠を、知識を封じる側と実習を封じる側に分けて読む。

知識を封じることに意味がある条件

知識を封じる側の証拠は四つの条件にまとまる。

条件何が起きるか代表的な文献証拠の強さ
規則性が目立たない課題規則を探せという教示が成績を下げる。重要な関係を教えると転移が妨げられるBerry と Broadbent 1988要旨と二次文献で確認。追試は限られる
熟達した運動技能自分の動きを言葉で記述すると練習の効果が消える。要素への注意で経験者だけ悪化するFlegal と Anderson 2008、Beilock ら 2002本文で確認。単一実験が多い
専門家の知覚の分化言語の教示では届かず、知覚学習の訓練で短時間に届くKellman と Garrigan 2009総説。反例あり
教示を遅らせる設計先に解かせてから教えると転移が上がる。ただし封じるのではなく順序Schwartz と Martin 2004、Sinha と Kapur 2021メタ分析あり。低学年では逆

第一の条件は、規則性が目立たないことである。 Berry と Broadbent は 1988 年に、課題の中の関係が目立つ(salient)版と目立たない(non-salient)版を作り、前半の試行のあとで半数に「応答は決まっている。規則を探すと制御しやすい」と教えた。 目立つ版ではこの教示で成績が上がり、目立たない版では下がった。 目立たない版が二つ似ているときに重要な関係を教えると転移が妨げられ、教えないときには正の転移があった(Berry と Broadbent 1988 の要旨。Dienes と Berry 1997、p.11 から p.12)。 害が出るのは目立たない関係に限られ、目立つ関係では教示が有利になる。 だから、この証拠は「教示一般が害になる」とは言っていない。 教示が害になるのは、学ぶ側が規則を探しにかかると、探す先の無い規則性を見落とすときである。

第二の条件は、技能がすでに熟達していることである。 Flegal と Anderson は、学部生のゴルファー 80 名にパッティングの課題を基準に届くまで練習させ、そのあと 5 分間、半数には自分の打ち方を詳しく書かせ、残りには無関係な語の評価をさせた。 再び基準に届くまでの試行数は、自己申告のスコアで上位に分けた群では、書かせた群が 21.2 回、書かせなかった群が 10.6 回だった(F(1,76)=5.55、p=.02)。 下位の群では 19.9 回と 22.4 回で差が無かった(Flegal と Anderson 2008、p.929)。 言葉で記述することが、練習の効果を消した。 ただし、消えたのは熟達した側だけである。 Beilock らも、経験のあるゴルファーがスイングの要素に注意を向けると悪化し、初心者は要素に注意しても害を受けないと報告している(Beilock ら 2002 の要旨)。 初心者にとって言語の指示は害ではない。 害になるのは、手続きとして固まった技能に、言葉の形の知識をかぶせるときである。 Flegal と Anderson は機序を手続き記憶と宣言記憶の競合と提案するが、著者自身が別の説明(言語化が要素への注意を残す)を併記しており、確定していない(p.931)。

同じ流れに、Masters の潜在的な運動学習の研究がある。 Masters は、二次課題で規則の仮説検証を妨げながらパッティングを学んだ群が、明示的に学んだ群よりプレッシャー下で崩れにくいと報告した(Masters 1992 の要旨)。 Maxwell らは 3,000 試行の縦断で、潜在群は学習中は劣り、遅延の保持テストでは差が無く、明示群では規則を多く報告する人ほど成績が悪かったとした(Maxwell ら 2000 の要旨)。 類推で教えた群(Liao と Masters 2001)も同じ向きである。 しかし、この系統は 2018 年の系統的レビューで縮んだ。 Kal らは 4,125 報から 25 の対照試験、39 の比較を集め、大半の比較で二重課題の成績に群差が無く、潜在群が有利だったのは一部で、バイアスのリスクは全試験で不明、証拠の水準は 3 と判定した(Kal ら 2018、要旨と 4.1 から 4.3)。 類推の学習は 12 比較すべてで宣言的な知識が少なかったが、誤りの出ない学習は 12 のうち 7 で知識を減らしきれていなかった(p.18)。 潜在的に学ぶと崩れにくいという主張は、現時点では弱い証拠の上にある。

第三の条件は、学ぶ対象が知覚の分化であることである。 Kellman と Garrigan は、専門家の仕事の多くが暗黙のパターン認識に支えられ、専門家が抽出する構造は言葉で説明できないことが多いと論じる。 チェスの規則は短時間で言葉で教えられるが、「no verbal instruction suffices to produce grandmasters」と書く(Kellman と Garrigan 2009、§II)。 形式的な教育は宣言的な知識と手続きの学習に偏り、知覚学習がほぼ欠けている(§VI「The Container Metaphor」)。 知覚学習の訓練(短い試行を大量に繰り返して分類させる)では、航空の計器判読で初心者が約 1 時間で飛行時間約 1,000 時間のパイロットに並び、熟練者も判読時間を 60% 短縮した(Kellman と Kaiser 1994 の結果として同論文が報告)。 医療画像では、知覚と手続きの測度が上がり、宣言的なテストはどの群も上がらなかった(Guerlain ら 2004 の報告として)。 これは「言語では届かない」ことの証拠であって、「言語が妨げる」ことの証拠ではない。 著者らも、言語の規則が学習を積極的に妨げるとは主張していない。

この条件には反例がある。 ひよこの性別判定は、熟練者が「言葉にできない勘」と呼んできた技能だった。 Biederman と Shiffrar は、判定の手がかりになる形の対比の位置を明示して短く教えると、初心者が熟練者並みの判定をできるようになったと報告した(Biederman と Shiffrar 1987 の要旨)。 言葉にできないと信じられていた知覚技能のうち、少なくとも一部は、適切な言葉を見つければ届く。 「言語では届かない」は、その言語をまだ誰も見つけていない、という状態と区別できないことがある。

第四の条件は、教示を遅らせることである。 Schwartz と Martin は、9 年生の統計で、公式を先に教えて練習させる群(tell-and-practice)と、自分で指標を発明させてから教える群を比べた。 転移の課題に学習資源(解き方の例)を添えないときは両群が同じで、添えたときは発明群が勝った(Schwartz と Martin 2004、p.129)。 Sinha と Kapur のメタ分析では、問題解決のあとに教示する順序が、教示を先にする順序に対して g = 0.36 の優位を持ち、productive failure の設計原則に沿うと 0.58 に上がる。 一方で、低学年(2 年から 5 年)と領域一般的な技能では、教示を先にする順序のほうが優位だった(Sinha と Kapur 2021 の要旨)。 この系統は、知識を封じることの証拠として読みたくなるが、そうではない。 発明だけでは tell-and-practice と同じ成績であり、効くのは「あとで教える」ことと組み合わさった発明である。 この設計が動かしているのは知識の順序であり、知識そのものはあとで与えられる。

知識を封じる側の証拠には、根本の反論もある。 Shanks と St. John は潜在学習の研究を総説し、無意識の学習は確立されておらず、報告できない規則の知識は多くの場合、規則ではなく事例や断片の記憶だと論じた(Shanks と St. John 1994、要旨)。 Dienes と Berry も、知識を引き出す質問を適切に組めば(客観的閾値)知識は閾値の上にあり、暗黙と呼べるのは、本人が推測だと思いながら答えている水準(主観的閾値)に限ると整理した(Dienes と Berry 1997、p.3 と結論)。 哲学の側では、Stanley と Williamson が、知っていること(knowledge-that)と出来ること(knowledge-how)の区別そのものを退け、出来ることは知っていることの一種だと論じる(Stanley と Williamson 2001 の要旨)。 これらを受け入れると、「知識を封じた」学習は存在せず、あるのは「言語の形の知識を迂回した」学習である。 封じることの意味は、知識の形(言葉で述べられる規則か、事例と手続きの記憶か)をどう選ぶかに移る。

実習を封じることに意味がある条件

実習を封じる側の証拠は五つの条件にまとまる。

条件何が起きるか代表的な文献証拠の強さ
学ぶ側が初学者問題を解くより解答例を学ぶほうが学ぶ。補助の無い発見は明示的な指導に劣るSweller と Cooper 1985、Alfieri ら 2011メタ分析あり。熟達すると逆転
直観に反する概念日常の経験が誤った直観を作り、観察を足しても直らないMcCloskey ら 1980、Chi 2005、麻柄 1999本文と要旨で確認
フィードバックが誤る環境経験が誤りを教え、確信だけが増す。経験年数で成績が下がるHogarth ら 2015、Choudhry ら 2005系統的レビューあり
まれで取り返しのつかない出来事1 件以下の標本からは学べない。失敗が許されない場では学習機会が減るMarch ら 1991、福島 2010理論と観察
形式的な推論と文法統計的推論は短い教示で日常に転移する。第二言語では明示的指導が優位Fong ら 1986、Norris と Ortega 2000実験とメタ分析

第一の条件は、学ぶ側が初学者であることである。 Sweller と Cooper は、代数を学び始めた生徒が、同等の問題を自分で解くより解答例を読んで学ぶほうがよく学ぶと報告した(Sweller と Cooper 1985 の要旨)。 Alfieri らは 164 の研究を二つのメタ分析にまとめ、補助の無い発見学習は明示的な指導に劣り(580 の比較、d = −0.38、95% 信頼区間は −.44 から −.31)、補助のある発見学習は他の指導に勝った(360 の比較、d = 0.30、.23 から .36)。 効いたのはフィードバック、解答例、足場かけ、説明の引き出しである(Alfieri ら 2011、要旨と p.11)。

Mayer は、1960 年代の規則の発見、1970 年代の保存概念、1980 年代の LOGO の三つの研究史で、純粋な発見が誘導つきの発見に劣ったと整理し、LOGO を 50 時間以上使った児童が基本的な概念で困難を示した例を引く(Mayer 2004、p.16)。 Mayer が強調するのは、効くのが認知的な活動であって、手を動かす行動的な活動それ自体ではないことである(p.15 と p.17)。 Kirschner らは、この利点が薄れるのは学ぶ側が「sufficiently high prior knowledge」を持ち、自分で内的に導けるときだけだと書く(Kirschner ら 2006、要旨)。 解答例の効果は熟達すると消え、逆転する(Kalyuga ら 2003 の要旨)。 初学者に実習を封じて解答例を読ませる意味は、作業記憶が問題の探索で埋まり、学ぶべき構造に注意が残らないことにある。

第二の条件は、概念が直観に反することである。 McCloskey らが大学生に物体の運動の経路を描かせると、過半数が顕著な誤りを示し、物理の授業を修了した者の一部もそこに含まれた(McCloskey ら 1980 の要旨)。 日常の経験が作った直観は、授業を受けても残る。 Chi は、拡散のような創発的なプロセスの誤概念が教示に抵抗し、答えが観察結果と矛盾することを見せる対決型の介入でも概して改善しなかったと整理する(Chi 2005、p.161 から p.162)。 Chi の説明では、学ぶ側が現象を直接的なプロセスとして分類しているかぎり、観察を足しても同じ分類で解釈されるので、修正には存在論的なカテゴリーをまたぐ再表象が要る。 日本でも麻柄が、誤った知識(永野や細谷の「ル・バー」)の修正に反証例が有効だと考えられてきたが、反証例に接しても無視、排除、理論の周辺的な変更にとどまる学習者がいると指摘し、手がかりになる知識を先に読ませる二重推理法を提案した(麻柄 1999、p.33 から p.34)。

Vygotsky は、教示で得る科学的概念と、経験で得る日常的概念が逆向きに発達すると書いた。 科学的概念は言語の定義から具体へ下り、日常的概念は具体から抽象へ上る。 教示は学齢期の発達で決定的な役割を持ち、科学的概念の水準が日常的概念の最近接の領域を作る(Vygotsky 1986、第 6 章)。 市川も、科学や数学の概念は一種の人工概念で、内包的な定義を言葉で伝えることで人は効率よく概念を学び、事例からの一般化だけでは獲得されないと論じる(市川 2000、p.363)。 ここで実習を封じる意味は、経験が概念を作れないことにある。 経験は事例を与えるが、事例が属するカテゴリーは与えない。

第三の条件は、環境のフィードバックが誤るか欠けることである。 Hogarth らは、経験から学ぶ環境を、フィードバックが正確で経験が正しい学習を促す「kind」な環境と、フィードバックが誤るか欠けて経験が誤った学習を生む「wicked」な環境に分けた(Hogarth ら 2015 の要旨)。 Kahneman と Klein は、直観の信頼性が環境の規則性と、その規則性を学ぶ機会で決まり、主観的な確信は精度の指標にならないと合意した(Kahneman と Klein 2009 の要旨)。 Brehmer の論文の題名は「In one word: Not from experience」である(Brehmer 1980。書誌のみ)。 医療では、Choudhry らが 62 の評価を集め、32(52%)で診療年数が増えるほどすべての指標で成績が下がり、13 で一部の指標が下がり、関連が無かったのは 13 だった(Choudhry ら 2005 の要旨)。 精神保健の分野でも、実務経験は臨床判断の妥当性を概して高めず(Garb 1989 の要旨)、数式による判断が臨床判断より正確だった(Dawes ら 1989 の要旨)。

Ericsson らの熟慮された練習の研究は、熟達が単なる経験ではないことを主張したが(Ericsson ら 1993 の要旨)、その元のバイオリンの研究の再現では、練習量が説明する分散は 48% から 26% に下がり、最上位群と上位群の練習量に差が無かった(Macnamara と Maitra 2019)。 経験を積むことと専門性が上がることは、別の事柄である。 実習を封じる意味は、誤ったフィードバックの下で経験を積むと、誤りが確信とともに固まることにある。

第四の条件は、出来事がまれで取り返しがつかないことである。 March らは、組織がまれな事象について 1 件以下の標本から学ぶことになると論じた(March ら 1991 の要旨)。 福島は、原子力発電所や救急救命センターのような高信頼性組織では失敗が許されず、安全性を高めるほど学習の機会が減ると整理している(福島 2010。石村 2013 の書評 p.152 による)。 ここでは、実習を封じるかどうかという選択の余地が無い。 経験が成立しないので、知識(他者の経験の記録、歴史、模擬)からしか学べない。

第五の条件は、学ぶ対象が形式的な推論や文法であることである。 Fong らは、短い統計の訓練で日常の問題への統計的な推論の頻度と質が上がり、訓練の文脈の外でも効果が出たと報告した(Fong ら 1986 の要旨)。 Nisbett らは、推論の抽象的な規則は自己発見でしか発達しないという 20 世紀の心理学の見方に対し、短い形式的な訓練でも日常の推論が改善すると論じた(Nisbett ら 1987 の要旨)。 第二言語の文法では、Norris と Ortega のメタ分析(49 研究)で明示的な指導が暗示的な指導より効果が大きく、効果は持続した(Norris と Ortega 2000 の要旨)。 統計の規則も文法の規則も、使う場面にはめったに現れず、現れても一度では見えない。 経験が規則性を見せてくれないとき、規則は教示でしか届かない。

実習を封じる側にも反例がある。 工藤は、大学生 93 名にルールを事例で教えたとき、約半数が一般性のある情報は教示に含まれていなかったと解釈し、そう解釈した者ほど一般化しなかったと報告する。 ルールを明示的に教えても事例に基づく帰納学習が起きる(工藤 2003 の要旨)。 フックの法則の学習では、測定実験の事例が規則の抽象度を制限し、抽象度の高い命題を教示しても完全には解消しなかった(工藤 2013 の要旨)。 教示だけでは、学ぶ側が教示をどう解釈するかを制御できない。 Hmelo-Silver らは Kirschner らへの反論で、問題基盤学習と探究学習は最小限の指導ではなく足場かけが設計されていると論じ(Hmelo-Silver ら 2007 の要旨)、Alfieri らの結果もそれを支える。 Smith らは、誤概念を除去すべきものと見る見方に対し、直観的な知識は変化の資源になると論じた(Smith ら 1994 の要旨)。 実習を封じる意味があるのは、補助の無い実習に限られる。

日本語の文献は「教えない」を何だと言ってきたか

日本語の文献は、「教えない」を三つの型で語ってきた。 一つは、わざの稽古における言語の指示の封じである。 二つは、言語化が遂行を下げる局面である。 三つは、強い指示を避ける教育方針である。

生田の『「わざ」から知る』は、古典芸能の稽古が師匠の「形」の模倣を中心にし、評価は「いい」か「悪い」かだけで理由が述べられず(非透明性)、基礎から応用への段階も無い(非段階性)と記した。 師匠が身体部位の動かし方を直接指示しないのは、学習者を「世界に潜入」させ、師匠の呼吸と「エントレイン」させる環境を意図するからだ、と生田は説明する(生田 1987。諏訪 2008 の書評 p.714 から p.715 による)。 職人の伝承を扱った講演では、宮大工の弟子が納屋や原寸場の掃除を命じられるのは、親方の仕事が見えるように仕向けるためであり、「溝を作る」ことで学習者が自然に溝にはまるようにする。 生田はこれを「無意図的『教える』の意図性」と呼ぶ(生田 2004、p.28 から p.30)。 ここで封じられているのは言語の指示であって、教える意図ではない。 教える意図は、場の設計に移されている。 生田はまた、「知っていても出来ない」という言い方が、「知る」を情報の獲得と同一視するから矛盾に見えるだけだと論じ、規則を知識として得るとは具体の操作で適用できることだとした(生田 1992、p.33 から p.35)。 この立場では、知識と実習の対立そのものが、「知る」を言語の情報と取り違えた結果になる。

言語化が遂行を下げる局面については、諏訪が「言語化は身体知獲得の障害になる」という通説に反対している。 諏訪は、プロのゴルファーがパットの直後に語る言語量が素人より少なく、シャフトを変形した奇形のパターを使うと言語量が増えるという Beilock らの結果を引き、言語化が自動化した状態を一時的に壊すことは認めたうえで、それを次の熟達への再構築の準備と読む(諏訪 2005、p.526 と p.528)。 言語化できないフェーズは必ず存在するが、それは熟達の途中の一時的な状態である。

鈴木と横山は、箸の使い方や自転車の乗り方はどれほど詳しく解説されても聞いてすぐ実行できる可能性がほぼゼロであること、言語の記述が顔の記憶や洞察の問題解決を阻害することを並べ、「コトバへの過度の依存は学習にとって有効ではないどころか、妨害的な場合すらある」と書く(鈴木と横山 2016、p.5 から p.7)。 村越は、教示で学習者を方略的にすると潜在学習で可能だった規則の学習が阻害されるという Reber の結果と、ゴルフのパッティングの Masters の結果を紹介し、「方略的になりすぎることは学習を阻害するかもしれない」と述べて、伝統的な技能の非方略的な獲得に生田を引いた(村越 1996、p.330 と p.332)。 日本語の運動学習の研究では、外的な注意の焦点が常に優位という前提に反し、内的な焦点の群が練習で伸びた報告もある(大木と國部 2021 の要旨)。

実習を封じる側の日本語の文献は、理科教育と教育心理学にある。 松浦は 1970 年に、法則を先に示す説明的方法と、学習者の探索に基づく発見的方法を比べ、小学 4 年生 150 名のバランスビームの実験で法則先示群が学習と保持で優れ、転移の優劣は出なかったと報告した(松浦 1970 の要旨)。 川上と渡邉は、1985 年以降の日本の有意味受容学習の研究をまとめ、受容学習は発見学習に置き替わるものではなく、抽象的な内容に適すると位置づけた。 そのなかで国内の発見学習批判を集めている。 進藤の「素朴発見主義」、鏑木の「教えてもよい場面なのに考えさせている」、市川の「教えずに考えさせる授業はたいへんリスクの大きな授業形態」、西川の「実験や観察を行えば正しい概念を理解するわけではない」である(川上と渡邉 2010、p.2 から p.3)。

統合の側に立つ文献も日本語にある。 波多野は、解法の呈示とその適用の機械的な練習という伝統的な授業を批判しつつ、まず学習者の探索を促し、それが生産的な結果を導きそうにないときに初めて教授者が説明を示唆する、という中間の方策を勧めた(波多野 1995、p.354 と p.356)。 水越は、米国の発見学習と説明方式の比較研究が転移力と記憶の保持を基準にしながら、結論は千差万別で、原因は基本概念や用語の不統一にあると指摘した(水越 1970、p.21 と p.24)。 日本語の文献を並べて見えるのは、「封じる」ことを原則として立てた論者がほとんどいないことである。 生田は言語の指示を封じるが教える意図は封じず、諏訪は言語化を害とは呼ばず、受容学習の側は抽象的な内容という条件を添える。

二つの側を分けるもの

二つの側の条件を並べると、封じることの意味は「知識と実習のどちらが大事か」では決まらないことが見える。 決めるのは、学ぶ対象の性質、学ぶ者の段階、遂行の条件である。

変数知識を封じる意味が出る側実習を封じる意味が出る側
規則性の顕在性目立たない規則性(Berry と Broadbent 1988)経験に現れない規則(統計、文法。Fong ら 1986、Norris と Ortega 2000)
環境のフィードバック正確で即時(運動技能、知覚学習)誤るか欠ける(Hogarth ら 2015、Choudhry ら 2005)
概念と直観の関係直観が正しい方向を向く直観が誤る(McCloskey ら 1980、Chi 2005、Vygotsky 1986)
出来事の頻度高頻度で反復できるまれで取り返しがつかない(March ら 1991)
学ぶ者の段階熟達した側(Flegal と Anderson 2008、Beilock ら 2002)初学者(Sweller と Cooper 1985、Kalyuga ら 2003)
遂行の条件プレッシャー下(Masters 1992。ただし Kal ら 2018 で弱い)条件を問わない

この表から、「混ぜるのがよい」という一般論が何を飛ばしているかが分かる。 飛ばしているのは、学ぶ対象がどの行に当たるかの判断である。 目立たない規則性を持つ運動技能に規則の教示を足すことと、直観が誤る概念に経験を足すことは、どちらも「混ぜる」だが、前者は害になりうるし、後者は効かない。 封じることに意味があるという主張は、この判断を先に置けという主張として読める。

残る問題は、封じることの効果を直接比べた実験が少ないことである。 知識の側で「封じた群」と「教示した群」を直接比べたのは、Berry と Broadbent 1988 の探索教示、Flegal と Anderson 2008 の言語化、Klahr と Nigam 2004 の直接指導と発見の比較(小学 3 年から 4 年の 112 名で、変数制御の方法を学んだ子は直接指導群がはるかに多く、発見で到達した少数は転移で同程度だった。要旨)くらいである。 Masters の系統は系統的レビューで大半の比較に群差が無く、verbal overshadowing の元の効果(25 ポイント)は事前登録追試で直後 4 ポイント、20 分遅延で 16 ポイントに縮んだ(Alogna ら 2014 の要旨)。 実習の側の証拠は、「解く」と「読む」の比較と、補助の有無の比較であって、実習を完全に封じた条件はまれである。 経験が誤りを作るという主張は、観察研究と理論に支えられている。 封じることに意味があるという主張は、条件つきでなら立つが、その条件を確かめた実験の数は、主張の流通量に比べて少ない。

今回確かめられなかったこと

  • Berry と Broadbent 1984 と 1988、Masters 1992、Maxwell ら 2000、Liao と Masters 2001、Beilock ら 2001 と 2002、Schooler と Engstler-Schooler 1990、Alogna ら 2014、Cohen と Squire 1980、Biederman と Shiffrar 1987、Kapur 2008、Schwartz と Bransford 1998、Sinha と Kapur 2021、Sweller と Cooper 1985、Kalyuga ら 2003、Hmelo-Silver ら 2007、Klahr と Nigam 2004、Lazonder と Harmsen 2016、McCloskey ら 1980、Hogarth ら 2015、Kahneman と Klein 2009、March ら 1991、Einhorn と Hogarth 1978、Ericsson ら 1993、Choudhry ら 2005、Garb 1989、Dawes ら 1989、Nisbett ら 1987、Fong ら 1986、Norris と Ortega 2000、Bereiter 1985、Stanley と Williamson 2001 は、本文が購読誌にあり、要旨の範囲で書いた。数値は要旨にあるものだけを使った。
  • Reber 1967 と 1976 と 1989、Berry と Broadbent 1987、Hayes と Broadbent 1988、Corkin 1968、Vosniadou と Brewer 1992、Brehmer 1980、Meyer と Land 2005 は書誌のみで、位置づけは Dienes と Berry 1997、Chi 2005、村越 1996 の記述による。
  • Vygotsky の第 6 章は marxists.org の訳(訳者不明)で読み、1986 年の MIT Press 版の頁と照合していない。
  • 生田 1987、生田と北村 2011、福島 2010、市川 2008 は書誌と書評(諏訪 2008、西平 2012、石村 2013)か二次の引用(川上と渡邉 2010)の範囲で書いた。市川 2005 の「リスクの大きな授業形態」は川上と渡邉の引用による。
  • Ryle 1949 と Polanyi 1966 は、knowing how と knowing that、暗黙知の語の出所として挙げるにとどめ、本文の主張には使っていない。
  • 日本語の運動学習で「言語教示を封じる」と明言する一次研究(工藤和俊、進矢正宏、樋口貴広ら)は、J-STAGE と CiNii の検索では見つからなかった。
  • 「封じる」ことの効果を直接比べた実験は、見つけた範囲では上に挙げた数本で、網羅的な検索ではない。

関連ノート

未検証事項

  • 本文を取れなかった文献は上の「今回確かめられなかったこと」に列挙した。いずれも要旨か書誌の範囲で帰属表示して書いており、主要主張の数値は本文を読めた文献(Roediger と Karpicke 2006、Flegal と Anderson 2008、Alfieri ら 2011、Kal ら 2018、Macnamara と Maitra 2019、Schwartz と Martin 2004、Kellman と Garrigan 2009、Vygotsky 1986 の訳、日本語の 16 本)か、要旨に明記された数値に限った。
  • Kellman と Garrigan 2009 の節番号は PMC の著者原稿によるもので、刊行版の頁と照合していない。

参照文献

潜在学習と二重解離

  • Reber, Arthur S. 1967. “Implicit Learning of Artificial Grammars.” Journal of Verbal Learning and Verbal Behavior 6 (6): 855–863. https://doi.org/10.1016/S0022-5371(67)80149-X
  • Reber, Arthur S. 1976. “Implicit Learning of Synthetic Languages: The Role of Instructional Set.” Journal of Experimental Psychology: Human Learning and Memory 2 (1): 88–94. https://doi.org/10.1037/0278-7393.2.1.88
  • Reber, Arthur S. 1989. “Implicit Learning and Tacit Knowledge.” Journal of Experimental Psychology: General 118 (3): 219–235. https://doi.org/10.1037/0096-3445.118.3.219
  • Berry, Dianne C., and Donald E. Broadbent. 1984. “On the Relationship between Task Performance and Associated Verbalizable Knowledge.” Quarterly Journal of Experimental Psychology Section A 36 (2): 209–231. https://doi.org/10.1080/14640748408402156
  • Berry, Dianne C., and Donald E. Broadbent. 1987. “The Combination of Explicit and Implicit Learning Processes in Task Control.” Psychological Research 49 (1): 7–15. https://doi.org/10.1007/BF00309197
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  • Hayes, Nigel A., and Donald E. Broadbent. 1988. “Two Modes of Learning for Interactive Tasks.” Cognition 28 (3): 249–276. https://doi.org/10.1016/0010-0277(88)90015-7
  • Stanley, William B., Robert C. Mathews, Ray R. Buss, and Susan Kotler-Cope. 1989. “Insight without Awareness: On the Interaction of Verbalization, Instruction and Practice in a Simulated Process Control Task.” Quarterly Journal of Experimental Psychology Section A 41 (3): 553–577. https://doi.org/10.1080/14640748908402382
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  • Shanks, David R., and Mark F. St. John. 1994. “Characteristics of Dissociable Human Learning Systems.” Behavioral and Brain Sciences 17 (3): 367–395. https://doi.org/10.1017/S0140525X00035032
  • Dienes, Zoltán, and Dianne Berry. 1997. “Implicit Learning: Below the Subjective Threshold?” Psychonomic Bulletin & Review 4 (1): 3–23. https://doi.org/10.3758/BF03210769

手続き記憶と宣言記憶

明示的知識と運動技能、言語化

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  • Maxwell, Jon P., Richard S. W. Masters, and Frank F. Eves. 2000. “From Novice to No Know-How: A Longitudinal Study of Implicit Motor Learning.” Journal of Sports Sciences 18 (2): 111–120. https://doi.org/10.1080/026404100365180
  • Liao, Chu-Min, and Richard S. W. Masters. 2001. “Analogy Learning: A Means to Implicit Motor Learning.” Journal of Sports Sciences 19 (5): 307–319. https://doi.org/10.1080/02640410152006081
  • Beilock, Sian L., and Thomas H. Carr. 2001. “On the Fragility of Skilled Performance: What Governs Choking under Pressure?” Journal of Experimental Psychology: General 130 (4): 701–725. https://doi.org/10.1037/0096-3445.130.4.701
  • Beilock, Sian L., Thomas H. Carr, Clare MacMahon, and Janet L. Starkes. 2002. “When Paying Attention Becomes Counterproductive: Impact of Divided versus Skill-Focused Attention on Novice and Experienced Performance of Sensorimotor Skills.” Journal of Experimental Psychology: Applied 8 (1): 6–16. https://doi.org/10.1037/1076-898X.8.1.6
  • Flegal, Kristin E., and Michael C. Anderson. 2008. “Overthinking Skilled Motor Performance: Or Why Those Who Teach Can’t Do.” Psychonomic Bulletin & Review 15 (5): 927–932. https://doi.org/10.3758/PBR.15.5.927
  • Kal, Elmar, Rens Prosée, Marco Winters, and John van der Kamp. 2018. “Does Implicit Motor Learning Lead to Greater Automatization of Motor Skills Compared to Explicit Motor Learning? A Systematic Review.” PLOS ONE 13 (9): e0203591. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0203591
  • Schooler, Jonathan W., and Tonya Y. Engstler-Schooler. 1990. “Verbal Overshadowing of Visual Memories: Some Things Are Better Left Unsaid.” Cognitive Psychology 22 (1): 36–71. https://doi.org/10.1016/0010-0285(90)90003-M
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知覚学習と身体性

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  • Kellman, Philip J., and Patrick Garrigan. 2009. “Perceptual Learning and Human Expertise.” Physics of Life Reviews 6 (2): 53–84. https://doi.org/10.1016/j.plrev.2008.12.001
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教示を遅らせる、生成する

解答例、発見学習、熟達の逆転

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  • Kalyuga, Slava, Paul Ayres, Paul Chandler, and John Sweller. 2003. “The Expertise Reversal Effect.” Educational Psychologist 38 (1): 23–31. https://doi.org/10.1207/S15326985EP3801_4
  • Kirschner, Paul A., John Sweller, and Richard E. Clark. 2006. “Why Minimal Guidance during Instruction Does Not Work: An Analysis of the Failure of Constructivist, Discovery, Problem-Based, Experiential, and Inquiry-Based Teaching.” Educational Psychologist 41 (2): 75–86. https://doi.org/10.1207/s15326985ep4102_1
  • Hmelo-Silver, Cindy E., Ravit Golan Duncan, and Clark A. Chinn. 2007. “Scaffolding and Achievement in Problem-Based and Inquiry Learning: A Response to Kirschner, Sweller, and Clark (2006).” Educational Psychologist 42 (2): 99–107. https://doi.org/10.1080/00461520701263368
  • Mayer, Richard E. 2004. “Should There Be a Three-Strikes Rule against Pure Discovery Learning? The Case for Guided Methods of Instruction.” American Psychologist 59 (1): 14–19. https://doi.org/10.1037/0003-066X.59.1.14
  • Klahr, David, and Milena Nigam. 2004. “The Equivalence of Learning Paths in Early Science Instruction: Effects of Direct Instruction and Discovery Learning.” Psychological Science 15 (10): 661–667. https://doi.org/10.1111/j.0956-7976.2004.00737.x
  • Alfieri, Louis, Patricia J. Brooks, Naomi J. Aldrich, and Harriet R. Tenenbaum. 2011. “Does Discovery-Based Instruction Enhance Learning?” Journal of Educational Psychology 103 (1): 1–18. https://doi.org/10.1037/a0021017
  • Lazonder, Ard W., and Ruth Harmsen. 2016. “Meta-Analysis of Inquiry-Based Learning: Effects of Guidance.” Review of Educational Research 86 (3): 681–718. https://doi.org/10.3102/0034654315627366

素朴理論と概念変化

経験が誤らせる環境、経験と専門性

教示で伝わる推論、閾値概念、学習のパラドックス

  • Nisbett, Richard E., Geoffrey T. Fong, Darrin R. Lehman, and Patricia W. Cheng. 1987. “Teaching Reasoning.” Science 238 (4827): 625–631. https://doi.org/10.1126/science.3672116
  • Fong, Geoffrey T., David H. Krantz, and Richard E. Nisbett. 1986. “The Effects of Statistical Training on Thinking about Everyday Problems.” Cognitive Psychology 18 (3): 253–292. https://doi.org/10.1016/0010-0285(86)90001-0
  • Norris, John M., and Lourdes Ortega. 2000. “Effectiveness of L2 Instruction: A Research Synthesis and Quantitative Meta-Analysis.” Language Learning 50 (3): 417–528. https://doi.org/10.1111/0023-8333.00136
  • Meyer, Jan H. F., and Ray Land. 2005. “Threshold Concepts and Troublesome Knowledge (2): Epistemological Considerations and a Conceptual Framework for Teaching and Learning.” Higher Education 49 (3): 373–388. https://doi.org/10.1007/s10734-004-6779-5
  • Bereiter, Carl. 1985. “Toward a Solution of the Learning Paradox.” Review of Educational Research 55 (2): 201–226. https://doi.org/10.3102/00346543055002201

日本語の文献

哲学


書いた人:小川 修一郎(デザイン研究者/デザインコンサルタント) 経歴を見る →