Shuichiro Ogawa
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ノート · updated 2026-10-11

これまでのデザイン教育は何を担ってきたのか(学術研究から)

前の note(生成 AI で下積みの仕事が減るとき、ジュニアは何をすればよいか)は、下積みで失われうるのは練習の量より熟達者の判断を間近で見る経路だとした。この note は、学校のデザイン教育がその経路をどこまで担ってきたかを、デザイン教育の研究で整理した。

目次(8)
  1. 問いの位置
  2. 学校は何を目指してきたか
  3. スタジオという教え方
  4. 講評は何を担ってきたか
  5. 学校が担えなかったもの
  6. デザインの考え方を広く教えること
  7. 担ってきたものと、担えなかったものの関係
  8. 研究がまだ答えていないこと

問いの位置

前の note 生成 AI で下積みの仕事が減るとき、ジュニアは何をすればよいか(学術研究から) は、生成 AI で職場の簡単な仕事が減るとき、失われうるのは練習の量より、熟達者のそばで判断を間近に見る経路だとした。 そこで問うべきは、学校のデザイン教育がその経路をどこまで担ってきたかである。 この note は、デザイン教育の研究から、学校が担ってきたことと担えなかったことを整理する。 雇用主と当事者の資料から見た整理は、産業版の これまでのデザイン教育は何を担ってきたのか(産業界の資料から) にある。

学校は何を目指してきたか

デザイン教育の目的は、学校ごとに違う理念として掲げられてきた。 九州芸術工科大学は 1968 年に日本で初めて芸術工学部を持つ大学として開学し、初代学長の小池新二は「技術の人間化」を芸術工学の理念に掲げた(森田 2008)。 これは、技術の発展を人間の基準(感性とデザイン)に立って進めるという考えである。 ウルム造形大学を振り返った Betts は、建築とデザインが科学から切り離されたことを現代の危機の表れと見る立場から、科学と記号論と社会を結ぼうとしたこの学校を論じた(Betts 1998)。 Findeli は 2001 年に、デザインの教育、実務、研究のどれもが変わる必要がある時期にあるとして、21 世紀のデザイン教育の再考を求めた(Findeli 2001)。 学校の目的は時代と場所で揺れてきたが、どの理念も、ものを作る技能の伝達だけを目的にしてはいない。

スタジオという教え方

学校のデザイン教育の中心には、スタジオという教え方がある。 Shulman は、専門職がなぜそのように発達するかを知りたければ、その準備の仕方を調べればよいとし、専門職の教育を形づくる特徴的な教え方を signature pedagogies(その専門職を代表する教え方)と呼んだ(Shulman 2005)。 Crowther はこの考えをデザインに当て、スタジオをデザイン教育の代表的な教え方として分析し、スタジオが支配的な学習の場であることを説明した(Crowther 2013)。 Shreeve、Sims、Trowler も、美術とデザインの四つの分野の教え方から、代表的な教え方の特徴と、学生中心の学習での役割を取り出した(Shreeve et al. 2010)。

スタジオは、実務の判断を学校の中で模す場として理論づけられてきた。 Webster のまとめによると、Schön は設計スタジオの研究から、スタジオでの学習は実際の専門職の行為を模していると論じ、のちに建築教育をすべての専門職の教育の手本として示した(Webster 2008)。 前の note の言葉でいえば、スタジオは、熟達者の判断を間近で見る経路を、学校の中に作り直そうとする仕組みだった。

講評は何を担ってきたか

スタジオの中心にある講評(crit)は、技能より、職業人としてのふるまいを伝えてきた。 Dannels は 1 年にわたる観察と聞き取りから、デザインのスタジオで学生が行う口頭の発表に四つの型があり、それぞれに成功を決める技能があること、そして発表が儀礼のように機能していることを示した(Dannels 2005)。 Dannels と Martin は、初心者から上級者までのスタジオの講評のフィードバックを類型化し、フィードバックが学生を対等な関係と、自分で決める者としての自己像へ社会化していると報告した(Dannels and Martin 2008)。

講評の場の会話は、言葉にしにくい知識を作る場でもあった。 Venkatesh と Ma は香港理工大学のインテリアデザインの課程を事例に、スタジオの社会的な文脈で学生が暗黙知を身につけるとき、批評的な会話が鍵になっていたと報告した(Venkatesh and Ma 2021)。 Gray は、正式な講評の外で学生どうしが行う非公式の講評を、Bourdieu のハビトゥスの考えで分析し、それが設計の考えと判断を外に出す働きを持つことを論じた(Gray 2013)。

職業人としての自己像の形成も、教育の役割として論じられてきた。 Kunrath、Cash、Kleinsmann は、デザイナーの職業人としての自己像(professional identity)を、職業的な発達を導き、役割の引き受け方、責任、価値観、ふるまいを形づくるものとして整理した(Kunrath et al. 2020)。 Webster は、講評会(jury)を建築家の教育の象徴的な出来事とし、そこが学問の技能と信念と価値観を学ぶ場であることは広く認められていると書いている(Webster 2007)。

学校が担えなかったもの

しかし、講評が育てる姿は、実際の職場の姿とずれている。 Dannels と Martin は、講評が育てる対等な関係と自律的に決める自己像は、実際の職場より、学業の発達段階か理想化された職場に近く、講評が職業の準備という目的を果たすことを難しくしているかもしれないと述べた(Dannels and Martin 2008)。 UX の課程の学生と実務者 10 人への聞き取りでは、学生は教育と将来の実務のあいだの境目に立ち、教育で育てた設計の考え方を実務の複雑さの中で実行するための橋を自分で架けようとしていた(Watkins et al. 2020)。 グラフィックデザイナー 10 人から暗黙知の例 123 件を集めた研究は、今のデザインの道具が支えていない例があることを示し、その理由から暗黙知を扱うための指針を提案した(Son et al. 2024)。

講評は、権力の装置としても描かれてきた。 Dutton は、スタジオを「隠れたカリキュラム」の考えで分析し、社会の権力の非対称が学校の教室と同じようにスタジオでも再生産されていると論じた(Dutton 1987)。 Webster は、講評会を学生を支配的な職業人像に従わせる儀礼と見る批判的教育学の見方と、学生が自分の建築家像を作るのを支える場と見る一般的な見方が並んでいるとして、英国の一つの建築学校で 1 年の民族誌を行った(Webster 2007)。 Day がウルヴァーハンプトン大学の美術とデザインの学部生 60 人に行った調査では、学生は批判されることに強い懸念を持ち、公開の講評の場で恐れを伴う反応を示し、ある回答者は講評を銃殺隊にたとえた(Day 2013)。

スタジオを支えてきた理論にも、証拠の弱さが指摘されている。 Eraut は、Schön の省察(reflection-in-action)の考えは独創的だが、Schön の例の多くは行為の中の省察の証拠を示しておらず、教室のような混み合った場面に当てはまるものはないと批判した(Eraut 1995)。 Webster も、Schön は驚くほど省察の足りない思想家だったと論じた(Webster 2008)。

デザインの考え方を広く教えること

デザインの教育は、デザイナーの養成を越えて、一般の教育にも広げられてきた。 Razzouk と Shute は、デザイン思考を、試し、作り、試作し、フィードバックを集めて作り直す分析的で創造的な過程と定義し、初心者と熟達者の違いと、教育への応用を整理した(Razzouk and Shute 2012)。 Kimbell は、デザイン思考には認知の様式、デザインの一般理論、組織の資源という三つの説明があるとし、そのどれもがいくつかの問題を抱えると論じた(Kimbell 2011)。 工学の高等教育でのデザイン思考の実装を 76 本の実証研究で調べた系統的レビューは、2018 年以降に急増し、スタンフォードの 5 段階のモデルが広く使われ、実装は課程全体ではなく授業単位が多いことを示した(Deng et al. 2026)。 広く教える試みは増えたが、それが学生の判断をどう育てたかの証拠は、授業単位の報告が中心である。

担ってきたものと、担えなかったものの関係

ここまでの研究から、学校のデザイン教育が担ってきたものを三つにまとめられる。 一つは、スタジオという教え方で実務の判断を模すこと、二つめは、講評を通じて職業人としてのふるまいと自己像を育てること、三つめは、講評の会話を通じて言葉にしにくい知識と見方を受け渡すことである。 これらは、前の note が職場の下積みに見た「熟達者の判断に触れる経路」を、学校の中で作り直す試みだったと読める。

ただし、学校が模した判断は、職場の判断と同じではなかった。 講評が育てる姿は職場より学校の理想に近く(Dannels and Martin 2008)、教育で育った考え方を実務で実行するには学生が自分で橋を架けていた(Watkins et al. 2020)。 このずれは、これまで職場の下積みで埋められてきたと考えられる。 生成 AI で職場の下積みが細ると、このずれを埋める場所がなくなる恐れがある。 これは研究の知見を組み合わせた推論で、学校から職場への移行を同じ学生で追って確かめた研究は、今回の収集では見つからなかった。

研究がまだ答えていないこと

デザインの学生を学校から職場まで追い、学校の講評で育った判断が職場でどう使われるかを測った縦断研究は見つからなかった。 講評の効果を、学生の作品の質や職場での成果で測った研究も見つからなかった。 日本のデザイン教育のスタジオと講評を対象にした研究は、今回の収集では書誌の段階にとどまった。

関連ノート

未検証事項

主要主張に未検証の記述は残していない。

参照文献


書いた人:小川 修一郎(Design Researcher / Consultant) 経歴を見る →